No.17【「献金」の目的】

◆ “統一教会”のニュースを聞いていると、「献金」ということについて考えさせられます。もちろん私たちの教会では、〈自己破産に追い込まれるまで、全財産を献金させる〉というようなことはあり得ません。しかし、各自が生活費を削りながら献げているのは事実です。

◆ 旧約聖書における「献金」とは、基本的には〈①神殿税〉と〈②貧者への施し〉であり、それによってイスラエルという共同体が成立していました。つまり「献金」は、“神殿での礼拝を支える基金”であると同時に、“貧者の生活を支えるための基金”でもあったのです。新約聖書も同じです。「献金」に関する有名な聖句は《一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい》(第二コリント9:7)ですが、ここでパウロが勧めていた「献金」とは、〈エルサレム教会の貧しい聖徒たちへの支援金〉です。

◆ つまり、聖書が教える「献金」とは、“貧しい人々から搾取し続けるシステム”ではなく、むしろ、“貧しい人々を支えるための交わり”だったのです。ここで私たちが問われるのは、「現代の教会は、このような支え合いの交わりとなっているだろうか?」という問いです。統一教会の影響で「献金」のイメージが悪化する今、考える価値のある問いだと思います。