No.31【キリスト教の死生観】

◆墓前礼拝の式次第に「キリスト教の死生観」という文章を書きました。(昨年の式次第に大塚先生が載せていた文章を、より詳しくしてみたものです。)「死生観」という言葉を辞書で調べてみると、「生きることと死ぬことについて、判断や行為の基盤となる考え方」と出てきます。「死生観」が曖昧だと、どう生きるのかも、どう死ぬのかも、曖昧になるわけです。

◆聖書が語る“生”の基本は、「神は人をご自身のかたちとして創造された」(創世記1:27)です。クリスチャンであろうとなかろうと、すべての人間は神様の“最高傑作”であり、その人生の初めから終わりまで、(たとえ本人が気づかなくても)神様の愛と導きを受け続けています。その一方、聖書が語る“死”の基本は、「私たちはみな(復活した後に)、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受ける」(第二コリント5:10)です。クリスチャンであろうとなかろうと、善行には褒美が、悪行には罰が与えられます。ですから、大切なのは、生きている間に神様に赦しを願い、悪行を悔い改めて正しく生きることです。

◆それゆえ、クリスチャンに託された使命は、神様が造られた“最高傑作”である人の体を丁寧に葬ることと、生きている人々を悔い改めへと説得することです(5:11)。「不信仰=永遠の地獄」という単純な話ではないとしても、少しでも厳しい罰から逃れられるように。