マタイ1:23「神が私たちとともにおられる」

2022年12月25日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マタイの福音書』1章23節


23  「見よ、処女が身ごもっている。 

そして男の子を産む。 

その名はインマヌエルと呼ばれる。」

それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。



「戦い」と「不安」

 “今年の漢字”が発表されました。日本漢字能力検定協会が毎年末に発表している“今年の漢字”。2022年の第一位は「戦」でした。ロシアとウクライナの「戦争」や、依然として続く新型コロナとの「戦い」、もしくは物価高の中での生活の「戦い」など、2022年は「戦い」の連続だった。

 第二位は「安」という漢字でした。「安心」とか「安全」を表す「安」です。ウクライナのこと、コロナのこと、物価高のこと、そのほか様々な事柄によって、私たちの生活の「安心」や「安全」が脅かされ、「不安」な毎日を送った一年間だった。

 2022年に限らず、私たちの人生というものは、「戦い」の連続かもしれません。「不安」の連続かもしれません。今みなさんが戦っていることは何でしょうか。不安に覚えていることは何でしょうか。どうすれば私たちは、もっと安心して生きていくことができるのでしょうか。


「答える人のいるあたたかさ」

 小学生の頃、私は夜中に一人でトイレに行くのが怖くて、別におばけとかを信じていたわけではないんですけれど、どうしても不安で、よく賛美歌を口ずさみながらトイレに行っていました。賛美歌といっても、子ども向けのかわいらしい賛美歌でしたけれど、「神さまに、愛されてる~」なんて曲を歌いながら、暗い家の中を歩いていた記憶があります。賛美歌を歌うと、不思議と怖い気持ちが無くなるわけです。まあ、別に賛美歌でなくても、ただ歌を歌ったから気が紛れた、というだけかもしれませんけれど、それでも子どもながらに、賛美歌の歌詞の意味をちゃんと理解していて、神さまが一緒にいてくださるということを信じて、勇気をもらっていた記憶があります。

 クリスマスとは何でしょうか。クリスマスにおいて最も大切なこととは、一体何でしょうか。それは、「神が私たちとともにおられる」ということです。インマヌエル、神が私たちとともにおられる。ものすごくシンプルに言ってしまえば、これからはもう、一人でトイレに行かなくていい、ということです。一人ぼっちで暗闇と戦わなくていい、ということです。

 ひとつの詩をご紹介します。『サラダ記念日』という詩で有名な、俵万智という詩人が詠んだ詩です。最近では学校の教科書に載ったこともあるので、ご存じの方もいるかもしれません。


「寒いね」と 話しかければ 「寒いね」と 答える人の いるあたたかさ

 一人では、「寒いなあ」という独り言しか言えない。どんなに寒くても、どんなに苦しくても、「寒いなあ、苦しいなあ」と抱え込むしかない。でも、「寒いね」と話しかけられる人がいれば、それだけでどれだけ温かいか。どれだけ救われるか。

 神様と一緒に生きている人と、そうでない人との違いとは何でしょうか。もちろん、いろいろと違うところはあるわけですけれど、最も大切な違いの一つは、ことばが違う、ということです。クリスマスを知る人、インマヌエルを知る人のことばは、そうでない人のことばとは全く違う。

 もし神様と一緒に生きていないのなら、一人で生きているのなら、「寒いなあ」は「寒いなあ」です。「怖いなあ」は「怖いなあ」です。でも、もし神様と一緒に生きているなら、「寒いなあ」は「神様、寒いです」に変わる。「怖いなあ」は「神様、怖いです」に変わる。「あの人むかつくなあ」は、「神様、あの人むかつくんですけど」に変わる。「あの人はなんであんなに酷いことするんだろう」は、「神様、あの人はなんであんなに酷いことをするんでしょうか」に変わる。「今日もダメダメな一日だったなあ」は、「神様、今日もダメダメな一日でごめんなさい」に変わる。「自分は本当に情けない人間だ」は、「神様、自分は本当に情けない人間です」に変わる。神様と一緒に生きるとはそういうことです。ことばが違ってくるんです。

 そして、そうやって神様に語りかけるとき、それを確かに聞いてくださって、苦しみや不安を吐き出す、愚痴のような祈りを受け止めてくださって、「寒いね」と言ってくださる。「苦しいね」と言ってくださる。「今日はダメでも、また明日一緒に頑張ろう。愛してるよ」と言ってくださる。頭の中に声が響いてくるとか、夢の中に神様が登場する、というようなことではないとしても、神様と一緒に生きる人には分かるんです。神様と語り合いながら歩んでいく人生があるんです。

 


「すべての人があなたを見捨てても」

 あるハンセン病患者についてのお話を読んだことがあります(加藤常昭『マタイの福音書1』43-45頁)。松村さんという方です。松村さんは15歳になって、「いよいよ人生これからだ」というときに、体に異変を感じて病院に行ってみると、ハンセン病だと診断された。ハンセン病というのは、その当時は治る見込みのないものと思われていたり、他の人に感染するものと思われていて、差別の対象となっていました。ハンセン病患者は就職もできない、結婚もしてはいけない、ただ施設に入って一生を終えなければならない。それだけではなく、家族も差別を受ける危険がある。松村さんは、「自分はもうこのまま死んだほうが良いのではないか、そのほうが誰にも迷惑をかけないのではないか」と思う。

 それから、施設をいくつも回りましたが、どこも受け入れてくれず、やっとのことで見つけて、大金を払って入所できた。しかし、その施設に入ってまもなく、松村さんは危篤になってしまう。今にも死にそうになってしまう。すると、自分がまだ生きているにもかかわらず、自分の枕元で、医者や看護師たちが、この人が死んだ後はどうしようか、と話し合っているのが聞こえて来た。ああそうか、自分はもう生きている必要がないんだ。ここで死んでしまったほうが、家族も助かるんじゃないか。誰にも迷惑をかけずに済むんじゃないか。15歳の少年がそんなことを考える。

 医者や看護師が、自分を置いて病室を出て行った後、だれかが入って来るのが聞こえました。見知らぬ女性だった。その女性が近づいて来たかと思うと、ベッドに倒れかかるようにして、祈るような声でこのように言ったのだそうです。「松村さん、すべての人があなたを見捨てても神さまはあなたをお見捨てになりませんよ。」初めて会った人に、突然そんなことを言われて、松村さんは驚いた。医者や看護師たちの冷たい言葉とは全く異なる言葉だった。その言葉を聞いて、消えかかっていた命の希望がよみがえって、松村さんは危篤状態を抜け出した。

 やがて松村さんは、この希望を伝える人になりたいと願うようになりました。ハンセン病患者として依然差別を受けながらも、イエス・キリストを伝える伝道者となったんです。ちなみに、その女性というのは、いくつかのハンセン病療養所を巡回して、伝道者として働いていた大野さんという方だったそうです。

 「すべての人があなたを見捨てても神さまはあなたをお見捨てになりませんよ。」これが、クリスマスの希望です。インマヌエルの希望です。「戦い」や「不安」の中で、苦しみもがくとしても、「誰も自分のことなんて分かってくれない」と思えたとしても、神様だけはあなたを見捨てない。神様とともに生きる人生は、希望を失うことのない人生です。光を失うことのない人生です。


「見よ、処女が身ごもっている」

 ただし最後に一つだけ、みなさんにお伝えしておかなければならないことがあります。それは、〈神様とともに生きるということは、何でも自分の思い通りになるということではない〉ということです。むしろ、その逆です。神様とともに生きるということは、自分の思い通りにではなく、神様のご計画のうちに生きていくということです。

 「処女がみごもっている」とは、そういうことなんです。処女がみごもるというのは、誰も予想していなかったことが起こる、ということです。人間の計画によるのではない。人間の意思によるのでもない。ただ神のご意思によって、ただ神の力によって、「見よ、処女がみごもっている。」

 マリアがみごもるということは、ヨセフやマリアにとっては、ただただ驚くべきことでした。二人が思い描いていた人生とは全く違うことが起きてしまった。神様はマリアに、「キリストを産んでもらうことになるけど、それでもいい?」とは聞きませんでした。ヨセフにも、「マリアがみごもることになってもいい?」とは聞きませんでした。人間の計画ではなく、ただ神様の計画によって、クリスマスは突然に始まったんです。これが、インマヌエルということです。

 みなさんは、全てを自分の思い通りに決められる人生のほうが幸せだと思うでしょうか。全て自分で決めたい、自分の人生は自分のものだ、だれにも邪魔されたくない、と思うでしょうか。しかし、神様はみなさんの人生の邪魔をしない方ではありません。神様は、みなさんの人生に、みなさんが想像もしていなかったようなことを起こそうと計画しておられるからです。ですから、もしみなさんが、これからも一人で生きていきたい、自分の思い通りに生きていきたいと思うのなら、今日の礼拝が終わったあとは、クリスマスのことは知らなかったことにして、なるべく神様のことを忘れて、神様から離れて生きていくほうが賢明だと思います。

 ただし、もしあなたの人生のうちに、すでに神様がおられるのなら、あなたの人生がもう神様のご計画のうちに進められていると思うのなら、もうすでに神様が、あなたと一緒に生きておられると思うのなら、無駄な抵抗はしないことをお勧めします。神様はそう簡単に諦めるようなお方ではないからです。神様はしつこいお方だからです。神様はあなたが一人で生きていくことを望んでおられないからです。神様はあなたを心底愛しておられるからです。

 夜中にトイレに行くとき、寒さに凍えそうなとき、生きているのが辛くなったとき、「神様」と呼びかけてください。祈ってみてください。神様は必ず聞いておられます。神様はあなたとともにおられます。一人で恐怖と戦う必要はありません。一人で不安な毎日を耐え忍ぶ必要はありません。もしかすれば、2022年はそういう一年間だったかもしれません。不安や戦いの中、一人で苦しんだ一年間だったかもしれません。でも、2023年は違う。クリスマスを知っている私たちは、インマヌエルを知っている私たちは、全く違う人生を歩むことができます。神様があなたとともにおられます。神様が私たちとともにおられます。お祈りをしましょう。


祈り

 私たちとともにおられる神様。私たちの祈りを確かに聞いていてくださる神様。私たちを決して見捨てず、孤独にはせず、愛し続けてくださる神様。あなたとともに生きる人生は、なんと幸いな人生でしょうか。あなたと語り合いながら歩める毎日は、なんと平安に満ちた日々でしょうか。どうか、もうすぐ迎えようとしている新しい年が、あなたとともに歩む新しい一年間でありますように。クリスマスの希望を今、しっかりと握ることができますように。インマヌエルの主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。