マルコ6:6b-13「下着は二枚着ないように」

2023年2月12日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マルコの福音書』6章6節後半-13節


6b それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。
7 また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。
8 そして、旅のためには、杖一本のほか何も持たないように、パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、
9 履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。
10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまりなさい。
11 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
12 こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、13 多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。



「何も持たないように」

 まずは、6節後半と7節をお読みします。


6:6b それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。7 また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。

 イエス様は、十二弟子たちに「権威をお授けに」なりました。私たちは、「権威」という言葉を聞くと、“立派な身なりをした王様”にこそふさわしい、みたいに思うかもしれません。しかし、イエス様の「権威」にふさわしいのはむしろ、“何も持っていない人”でした。8節と9節。


8 そして、旅のためには、杖一本のほか何も持たないように、パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、9 履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。

 杖一本だけを持って、サンダルだけを履いて、旅に出る。パンも、袋も、小銭も持って行かない。これが、イエス様の「権威」を預かった人々の姿でした。イエス様ご自身が、全てを捨ててこの世界に来てくださったように、イエス様の弟子たちも、全てを捨ててこの世界に出て行くんです。ちなみに、マタイやルカの福音書の同じ場面では、「杖も持たないように」とか、「履き物もはかずに」と書かれていて、マルコと細かい部分が違っているのですが、大事なポイントは同じです。必要最低限の物以外は、「何も持たないように」ということです。

 「下着」というのはおそらく、シャツやパンツのようなインナーのことではなく、チュニックやワンピースのような服のことです。上から下までセットになっているようなものが多かったようなので、それ一枚があれば一応大丈夫、というようなものでした。それでもやはり、一枚だけあれば十分というものでもなく、できれば二枚か三枚は持っておきたいようなものだったようです。一枚が旅の途中で破れてしまっても、二枚目や三枚目があれば安心だから。それでもイエス様は、「二枚着ないようにと命じられた。」

 どうしてイエス様は、このような命令をしたのでしょうか? それは、「少ししか持たなくても、神様が必要なものを備えてくださる」という信仰を、弟子たちに教えるためでした。「たとえ何も持っていなくても、神様がなんとかしてくださる。」このような信仰を持っている人にこそ、イエス様の「権威」はふさわしい。逆に言えば、「十分に持ち物がなければ不安だ」という人には、イエス様の「権威」はふさわしくない。

 神様は私たちの人生に、“足りないもの”を用意されます。もし、“足りないもの”なんて全く無い、という人がいるとすれば、その人の信仰は成長しないでしょう。みなさんはいかがでしょうか? イエス様は、みなさんの信仰を強めようとされているでしょうか? もしみなさんが、“足りないもの”を持っていないのだとしたら。神様がいなくてもなんとかなると思ってしまうほど、あらゆるものが十分にありすぎるのだとしたら、イエス様は、「何も持たないように」とお命じになるかもしれません。


「人々が悔い改めるように」

 10節から13節をお読みします。


10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまりなさい。
11 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
12 こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、
13 多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。

 「その家にとどまりなさい」というのは、「その家から一歩も外に出るな」という意味ではなく、「最初に受け入れてくれた家にそのままお世話になりなさい」という意味です。「こっちの家より、あっちの家のほうが居心地が良さそうだな」とか、「この家ではお茶漬けしか食べられないけど、あっちの家からすき焼きの匂いがするから行ってみよう」なんてことはするな、ということです。そんなことをしていたら、説得力が無くなるからです。「この人たちが伝えようとしている福音ってのは、結局そんなもんか」と思われてしまうからです。

 またイエス様は、「あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい」とも仰いました。“足の裏のちりを払い落とす”というのは、「あなたたちとは、もう何の関係もない」と示して、関係を断ち切ることです。人々が悔い改めようとしないなら、彼らとは関係を断ち切って、そこから出て行くのです。厳しすぎるようにも聞こえますが、「悔い改め」というのは、それほど緊急かつ重要なことだったからです。一刻も早く、次の町に向かわなければならない。

 ところで、「人々が悔い改めるように」とは言っても、当時の人々は一体、どんなことを「悔い改める」必要があったのでしょうか? 一体どんな罪を「悔い改め」なければならなかったのでしょうか? そのヒントが書かれているのが、ルカの福音書の3章です。ルカの3章、7節から11節まで(新約113頁)。少し飛ばしながら引用します。


3:7 ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。
8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。……」
10 群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
11 ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」

 ここには、当時の人々が悔い改めなければならなかった罪が、はっきりと記されています。貧しい人々に持ち物を分け与えない罪です。当時のユダヤ人の社会には、このような罪が蔓延していました。貧富の格差が凄まじい時代でした。この罪を悔い改めなければ、ユダヤ人たちは神様の「迫り来る怒り」に滅ぼされてしまう。そのようなさばきから救われるために、神様はバプテスマのヨハネを遣わし、イエス様を遣わし、そして十二弟子を遣わされた。「悔い改め」は、緊急かつ重要な事柄でした。


“二枚目”を分け与える

 先週の月曜日に起こった「トルコ・シリア地震」では、すでに亡くなった方が3万人に近づいていると報道されています。多くの団体が寄付金を募っています。今のところ、教会として特定の団体への寄付を案内することはしていませんけれども、私たちは今まさに、「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい」という聖書の語りかけに向き合わされています。

 先ほどもお話したように、当時の「下着」というのは、「一枚あれば十分だけど、二枚あったほうが安心」というものでした。「二枚持っている」ということは、「持っていない人にあげることもできるけれど、できれば自分も二枚くらい持っておきたい」という状況です。「たしかに今は少し余裕があるけど、将来のことを考えたら、なるべく多く残しておきたい」というのは、私たち皆が考えることだと思います。「困っている人は助けたいけれど、自分もそんなに余裕ないし……。」

 でも、そんな時に私たちは、「下着は二枚着ないように」というイエス様のご命令を思い起こすのだと思います。そりゃ、“二枚目”も持っていたほうが安心できる。一枚だけじゃやっぱり不安になる。でも、そんな時にこそ、私たちの信仰が問われるのではないでしょうか。もし私たちが、自分の“二枚目”を手放せないのなら、“二枚目”を分け与える信仰を持っていないのなら、人々に「悔い改め」を語る資格はないでしょう。「二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい」と語っているはずの人々が、「二枚」を着ていたのだとしたら、説得力はゼロですよね。

 しかし、もし私たちが“二枚目”を手放すのなら、今よりもさらに「何も持たない」ことを選び取るのなら、神様は必ず、私たちの必要も満たしてくださるはずです。“二枚目”を分け与えることは、たしかに怖いことだけれど、そこには信仰のチャレンジがあり、祝福のチャンスがあります。すでに寄付金を送ったという方もいるでしょう。今は送ってよかったと思っても、あとで自分の生活が苦しくなると、「やっぱり送らなきゃよかった…」と思うことだってあるかもしれません。でも大丈夫です。心配する必要はありません。神様は必ず、そんなあなたの生活を支えてくださいます。貧しい人のために“二枚目”を分け与えた人を、神様がお見捨てになるはずがありません。

 最後に、ルカの福音書22章35節(新約166頁)をお読みして、説教を閉じたいと思います。


22:35 それから、イエスは弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も袋も履き物も持たせずに遣わしたとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。

 お祈りします。


祈り

 私たちの父なる神様。私たちはやっぱり、“二枚目”を持っていないと不安になってしまいます。着る服を失って凍えている人がいると分かっていても、“二枚目”を差し出せる信仰がありません。でも、たとえ私たちがすべてを分け与えても、あなたが必ず私たちの必要を満たしてくださるということも、私たちは確かに知っています。どうか神様、私たちのうちに“分け与えない罪”があるのでしたら、悔い改めることができますように。そうして、イエス様の「権威」をお預かりすることができますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。