2024年4月

週報コラム
No.108【弁証論①:神は存在するのか?】

◆「神様って本当にいるの?」「目に見えないのになんで信じられるの?」「神様が人間を創造したんじゃなくて、人間が神様を想像したんでしょ?」 ―――“キリスト教弁証論”が扱うテーマはたくさんありますが、やはり最初に扱うべき問 […]

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聖書の説教
マルコ13:3-8「産みの苦しみの始まり」(宣愛師)

・・・・・・今日の説教でも、キリスト教に対する一つの批判を取り扱いたいと思っています。その批判というのは、「聖書には『世の終わりが来る』と書いてあるのに、世の終わりなんて来ないじゃないか」というものです。「世の終わりなんて来ないじゃないか!聖書には『世の終わりにキリストが再び来て、この世界を裁く』と書いてあるのに、聖書が書かれてから二千年近く経った今でも、世の終わりなんて全然来ないじゃないか!聖書もキリストも嘘つきじゃないか!」と。この批判に答えるためには、そもそも「世の終わり」とは何なのか、聖書には何と書かれているのか、ということを確認する必要があります・・・・・・

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週報コラム
No.107【「考えないようにしてました」】

◆先日、クリスチャンの学生たちと聖書研究会をしていた時に、「イエス様が復活したって本当だと思う?」という質問を投げてみたら、「考えないようにしてました」という答えが返ってきました。「どうして考えないようにするの?」と続け […]

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聖書の説教
ヨハネ4:27-30「来て、見てください」(まなか師)

・・・・・・教会で伝道師として働いていると、様々な方の悩みをお聞きする機会があります。皆さんも、牧師や伝道師でなくても、お友だちやお知り合いの悩みを聞くことがあると思います。「こんな大変なことがあったんです」「こんなひどい人がいたんです」というお話を聞いたりもします。そんなことがあったんですね、本当にお辛かったですね、と心から思います。できる限り、その方の思いに寄り添いたいと思わされます。ただ、多くの人は、「あの人が私にしたこと」「あの人のせいで私の人生に起こったこと」については話しても、「私がしたこと」についてはあまり話しません・・・・・・

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週報コラム
No.106【二つのキーワード】

◆盛岡みなみ教会の日曜礼拝では、開会の賛美として『御前につどい』を歌ってきましたが、この4月からは『主が備えられた』という賛美歌を歌い始めました。こういう歌詞の曲です。 主が備えられた  真実の道を わが目に曇りなく  […]

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聖書の説教
マルコ13:1-2「崩れ去る神殿」(宣愛師)

・・・・・・私たちはどうしても、崩れないもののほうが良いと思い込んでしまうでしょう。崩れないものを積み上げて、人生を確かなものにしていこう、と考えるものです。「人生のキャリアを積み上げる」という表現が使われることもあります。「お金をこつこつ積み立てましょう」と言われることもあるでしょう。勉強も、「こつこつ積み上げていかないとすぐに他の人に置いていかれる」などと言われて、私たちは焦ってしまうものです。……しかし神様は、「崩れたっていいじゃないか」と仰るんです。「崩れないようなものを作らなくていいじゃないか」と仰るんです・・・・・・

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週報コラム
No.105【眠れない夜は……】

◆「眠れない夜は聖書を読むのがおすすめだよ。すぐ眠くなる」という伝道師らしからぬアドバイスをNちゃんにしたところ、「どこを読んだら良いですか?」と質問されました。「とりあえず、創世記・詩篇・箴言・マタイ・ヤコブのどれかか […]

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聖書の説教
エペソ2:8-10「この恵みのゆえに」(宣愛師)

・・・・・・ある教会で行われた集会に、クリスチャンではない友人と一緒に参加した時のことです。賛美歌を歌ったり、聖書のメッセージを聞いたり、メッセージに関する感想を分かち合ったりする集会でしたが、気づいたらその友人が集会を抜けて、後ろの方にひとり座って泣いてしまいました。どうしたのかと話を聞くと、「クリスチャンの中にいるのが辛くなった」と言うんです。「教会も結局はキラキラした人たちの集まりなんだと思って、そこにいるのが辛くなった」と・・・・・・

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