No.115【弁証論⑥:"父なる神"は男尊女卑か?】
◆( 「父の日」 に相応しくないかもしれませんが!)今回取り上げたい“キリスト教批判”は、「“父なる神”という教えは男尊女卑ではないか?」です。実際には、神様を“母”として描く聖書箇所もあるのですが(イザヤ66:13など)、“父なる神”という表現が多いのは事実です。「男と女もありません」(ガラテヤ3:28)と語るはずの聖書も、結局は“家父長主義”なのでしょうか?
◆たしかに聖書は、 “父”以外の人間を低い存在として扱う“家父長主義”の時代に書かれました。しかし、聖書が神様を“父なる神”と呼ぶのは、「父親が一番偉いと考えているから」 ではなく、むしろその逆です。イエス様が教えたのは、「あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、 天におられる父だけです。」(マタイ23:9)
◆つまり、聖書が“父なる神”を語るのは、男尊女卑や家父長主義を正当化して人間に優劣をつけるためではなく、むしろ神以外を“父”と呼ばせないためなのです。「天におられる父」 は、「俺が一番だ」 と勘違いする父親たちを戒めると同時に、「父らしく、 男らしく」という重圧に悩む父親たちを、“神の子”としての祈り、弱さを認め涙を流せる祈りへと招いておられます。