No.117【弁証論⑧:なぜ神は悪を許容するのか?】

◆“キリスト教弁証論”の中でも最も難しく、しかし避けては通れない問い。それは、「なぜ神は悪を許容するのか?」という問題です。「なぜ戦争や貧困や災害などを許容するのか? そのような神は結局、存在しないか、冷酷であるか、無力であるか、怠慢なのではないか?」

◆要点を列挙してみましょう。①初めに神が創造した世界は 「非常に良かった」(創世記1:31)。②しかし、人間の罪によって世界に悪が入り込み(戦争や貧困)、自然界も呪われた(災害)。③神が世界を救うには、悪の原因である人間を滅ぼさなければならない。④ところが神は、「誰も滅びることがなく、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」(第二ペテロ3:9)。⑤神が全ての人を裁く時、誰もが納得するような、公平な“報い”が与えられる(ルカ16:25)。

◆このような説明だけでは明らかに不十分ですし、そもそも“答え”のない問題でもあります。ただ、確実に言えることはあります。それは、「なぜ神は悪を許容するのか?」 という問いは、「なぜ私は滅ぼされていないのか?」 という問いでもあることです。自分の罪を棚上げにして、神の“怠慢”を責めることはできません。文句を言う暇があったら、一粒でも善を行うのです。