マルコ14:1-9「この人の記念として」(宣愛師)

2024年7月7日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マルコの福音書』14章1-9節


14:1 過越の祭り、すなわち種なしパンの祭りが二日後に迫っていた。祭司長たちと律法学者たちは、イエスをだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していた。
2 彼らは、「祭りの間はやめておこう。民が騒ぎを起こすといけない」と話していた。

3 さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。
4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。
5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。
6 すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。
7 貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。
8 彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。
9 まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」



「自由が丘」と「トモヱ学園」

 昨日の夜、「新・プロジェクトX」というテレビ番組で、「トモヱ(トモエ)学園」という学校が紹介されていました。黒柳徹子さんの母校であり、大ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の舞台として有名になった、少し不思議な学校です。盛岡短大で子ども教育を学んでいる皆さんなら、よくご存知かもしれません。黒柳徹子さんは、あまりにやんちゃで手に負えないという理由で、前にいた小学校を退学させられてしまいましたが、そんな黒柳さん、「トットちゃん」を、トモヱ学園の先生方は温かく受け入れ、自由で楽しい教育を行いました。黒柳さん以外にも、身体障害を理由に小学校を追い出された子どもや、発育不良で入学拒否をされた子どもが、トモヱ学園では受け入れられ、愛され、生き生き育てられた。創設者の小林宗作(そうさく)先生は、ヨーロッパで学んだ自由教育に感銘を受け、それを日本で実践し、現代日本の幼児教育の基礎を築き上げた教育者でした。

トモヱ学園。サングラスの女の子が黒柳徹子さん

 トモヱ学園の前身となった学校は、手塚岸衛(きしえ)という教育者が創設した「自由ヶ丘学園」です。この学校も、名前の通り自由教育の理念によって創設されました。今でも東京の目黒区に「自由が丘」という地名がありますが、これは「自由ヶ丘学園」に合わせて付けられた地名だそうです。太平洋戦争の頃、「自由」という言葉は大日本帝国の思想に相応しくないとして、地名を変更するよう圧力をかけられたそうです。「自由」なんていう考え方は、お国の戦争のためには不必要だ、と。しかし、自由が丘の住民たちはこの地名を守り通した。自由ヶ丘の人々、トモヱ学園の人々は、市民の自由を奪う圧力や、子どもの自由を奪う教育に対して立ち向かったのです。

 今を生きる私たちも、この自由を守るために闘わなければなりません。そしてそのためには、何よりもまず、ヨーロッパの自由教育に影響を与えたキリスト教、イエス様の教えを、さらに深く学んでいきたいと思う。今日からマルコの福音書の14章に入りました。1節と2節をお読みします。


14:1 過越の祭り、すなわち種なしパンの祭りが二日後に迫っていた。祭司長たちと律法学者たちは、イエスをだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していた。
2 彼らは、「祭りの間はやめておこう。民が騒ぎを起こすといけない」と話していた。

 「過越の祭り」と「種なしパンの祭り」。聞いたことのないお祭りかもしれませんが、ひとことで言えばこの二つの祭りは、“自由を祝う祭り”でした。自由を奪われていた人々が、自由を手に入れたことを喜ぶお祭りでした。なぜ「過越」なのか、なぜ「種なしパン」なのかということについては、ややこしくなるので詳しくお話しませんが、要するに、エジプトで奴隷とされていたイスラエル人たちが、神様によって救い出していただいたことを記念するお祭りです。「奴隷だった私たちを、不自由で苦しめられていた私たちを、神様が救い出し、自由にしてくださった!」

 喜びの祭りです。毎年この季節には、世界中のイスラエル人たち、世界中のユダヤ人たちが、喜びの歌を歌いながら、エルサレムに集まって来ました。当時、エルサレムの人口は数万人程度でしたが、祭りの季節には数十万人が集まったと言われます。祭りは八日間行われました。エルサレムだけでは宿泊場所が足りないので、多くの人は近くの町に宿泊したり、野外にテントを張って寝泊まりしました。「フジロック」みたいな光景を想像すると良いかもしれません。新潟県湯沢町の人口は約8000人ですが、フジロックフェスティバルが始まると、10万人以上の人々が湯沢町に集まり、音楽を楽しみます。近くのホテルに宿泊する人々もいれば、テントを張る人たちもたくさんいます。私は参加したことはありませんが、映像で見る限り、ものすごい熱気です。ものすごいエネルギーです。「過越の祭り」にも、それくらいの熱気があったのかもしれません。

 もしかすると皆さんは、「宗教というのは不自由なものだ」と思っているかもしれません。しかし、聖書が語っているのは、自由を与える神様です。自由のお祭りです。今年から私は、盛岡短大のチャペルでは学生たちから質問を募るようにしています。色々な質問がもらえて面白いのですが、何人かの学生からは、「キリスト教ってやっぱり禁止事項が多いんですか?」みたいな質問ももらいました。あれをしてはならない。これをしてはならない。宗教の教えは人を不自由にする、というイメージがあるのでしょう。しかし、少なくとも私は、そうは思いません。子どもの頃からキリスト教の家で育てられましたが、自分くらい自由な人間はそうそういないと思っています。イエス様を信じて生きる人生は、ものすごく自由な人生です。イエス様の教えは、人を自由にする教えだからです。必要以上に人の目を気にしたり、人の言葉に支配される必要がないからです。

 過越の祭りは、エジプトからの解放を祝う、喜びの祭りでした。しかし当時のユダヤ民族は、再び外国人に支配されていました。ローマ人に支配されていました。奴隷ではありませんでしたが、ある意味では奴隷のような状態でした。彼らは、再び自由になる日を待ち望んでいました。神様が救い主を送ってくださるその日を待ち望んでいました。そして人々は、イエス様こそがまことの救い主だと信じ始めていました。そんなイエス様を、自由を祝う祭りの間に殺すようなことをしてしまったら、人々は暴動を起こしてしまうに違いない。「だから、祭りの間はやめておこう。民が騒ぎを起こすといけない。人々の熱が落ち着いてから、エルサレムの町がいつもの静かな状態に戻ってから、あの邪魔者をこっそりと始末してやろう。」権力者たちはこう考えたわけです。


「この人の記念として」

 自由を与える救い主と、その救い主を殺そうとする祭司長たち。自由を求める人々と、自由を与えないようにと画策する権力者たち。この対立と矛盾の中で、イエス様は十字架への道を歩んでいきます。続いて、3節から5節をお読みします。


3 さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。
4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。
5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。

 過越の祭りに参加するために、イエス様と弟子たちもエルサレムに来ていて、エルサレムの近くにある「ベタニア」という町に宿泊していました。「ツァラアトに冒された人シモン」というのがどういう人だったかはわかりませんが、「ツァラアト」というのは一種の伝染病だったので、もしもまだツァラアトにかかっていたとしたら、シモンは家の中にいられなかったはずです。おそらくシモンは、イエス様にツァラアトを癒やしてもらったという過去があって、そのお礼としてイエス様と弟子たちを家に泊めていたのだと思われます。ちなみに、ヨハネの福音書12章を見てみると、イエス様が宿まっていたのはマルタ、マリア、ラザロの三兄妹の家だと書かれているので、もしかするとこのシモンは、マルタやマリアやラザロの父親だったのかもしれません。家族みんなでイエス様を信じ、イエス様を愛していた。「イエス様、エルサレムに来る時は、いつでもうちにお泊まりくださいね」と口を揃えて言っていた。そんな麗しい家族だったのかもしれません。

 皆で食事をしていると、一人の名もなき女性が、イエス様の近くにやって来ました。彼女の手には「ナルド」という植物の香油が入った壺がありました。当時は、食事の途中でお客様に香油を塗って差し上げるという習慣があったそうです。最初はこの女性も、ただ香油を少し塗りに来ただけだと思われたことでしょう。しかし、女性の様子がおかしい。なんと、壺を割ってしまった。そして、その中身をすべて、イエス様一人のために、一気に使い果たしてしまった。

 イエス様の弟子たちが怒り出しました。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」当時は、貧しい人々の一日の給料が約一デナリだったので、「三百デナリ」というのは、だいたい一年分の給料です。今の日本の感覚で言うと、300万円くらいでしょうか。少しネットで調べたら、たったの15mlで10万円もする香水が売っていましたが、ナルドの香油はそれ以上に高級でした。弟子たちは「彼女を厳しく責めた。」それも仕方ないかもしれません。ところが、イエス様は違った。6節から9節。


6 すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。
7 貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。
8 彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。
9 まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」

 イエス様は、自分がもうすぐ殺されるということを知っていました。イエス様はそれを、弟子たちに何度も伝えていました。「わたしは祭司長たちや長老たちによって殺されるだろう」と、何度も弟子たちに話していました。イエス様が十字架にかかるのは、私たちにまことの自由を教えるためでした。自分のいのちにこだわる自由ではなく、人のためにいのちを献げることのできる自由を、イエス様は教えようとされた。でも、弟子たちには意味がわからなかった。まさか救い主が死ぬなんてなんて考えられなかった。人のために死ぬことのできる自由って何だ? ところが、おそらくこの女性は、この女性だけは、イエス様の教えをまっすぐに理解していたんです。

 もしかしたら彼女は、イエス様がベタニアに来られる度に、イエス様がこの家に来てくださる度に、この香油を少しずつ少しずつ、大切に使っていたのかもしれません。しかし、イエス様はもう二度とこの家に来ない。最後の日が近づいている。そのことに気づいた彼女は、溢れる気持ちを抑えられなかったんです。自分が持っているすべてをもって、イエス様に愛を示したいと思った。

 弟子たちは怒りました。しかしイエス様は言いました。「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」ここでイエス様がおっしゃった「記念」という言葉は、過越の祭りのキーワードでもあります。出エジプト記12章14節には、「この日は、あなたがたにとって記念となる」と書かれています。奴隷だったイスラエル人たちが自由になったことを「記念」する過越の季節に、イエス様は新たな「記念」を作られた。この人の記念として、彼女の記念として、救い主のために全てを献げたその姿を、後の時代の人々のために記念して。


「恩師への敬愛と感謝の思いをこめて」

 イエス様は、なぜこんなにも彼女を褒めたのでしょうか。周りの人に叱られているのがかわいそうだったからでしょうか。それだけではないはずです。イエス様が彼女を褒めたのは、何よりもまず彼女が、イエス様のことばをよく理解していたからです。イエス様がもうすぐ死んでしまうこと、しかも、祭司長たちの策略によって、犯罪者として殺されてしまうこと、しかしイエス様の死は、私たちの罪を背負うための死であること、私たちに自由を与えるための死であること。彼女がイエス様の教えをどこまで正確に理解していたのかはわかりませんが、少なくとも彼女は、他の弟子たちよりもずっと、ペテロやヤコブやヨハネなどの十二弟子たちよりもずっと、イエス様のことばをよく聞き、理解していたのだと思います。

 たしかに、貧しい人々に施しをすることは大切です。しかし、それ以上に大切なのは、貧しい人々を生み出す社会そのものを変えることです。誰のことも差別せず、家族として受け入れたイエス様の教えを理解し、この世界に広めることです。もちろん、貧しい人々に施しをすれば、その人たちは一時的には助かるでしょう。しかし、それと同時に私たちが為すべきことは、イエス様の教えを広げることによって、貧しさを生んでしまうこの世界そのものを造り変えることです。イエス様が何を語り、何のために生き、何のために死なれたのかを、しっかりと理解して、受け継いでいくことによって、この社会は少しずつ、新しく生まれ変わっていきます。皆がイエス様の姿に習い、自分のためではなく、人のために生きられる世界に、少しずつ生まれ変わっていきます。

 イエス様は何のために死なれたのか。私たちのためです。私たちの罪を背負うためです。神であるはずのお方が、神としての立場を捨てて、十字架の死にまでへりくだってくださった。だから私たちも、イエス様のようにへりくだって、人を赦して、人を愛して、人のために生きて、人のために死んでいく。貧しい人に施しをするということも大切だけれども、それ以上の生き方を持って、この世界そのものに取り組む。だから、私たちは何よりもまず、主イエスを愛するのです。

 マルコの福音書には、この女性の名前は書かれていません。マルコにとって大切だったのは、彼女の名前が記念されることではなく、彼女の行いが記念されることだったからです。ところが、ヨハネの福音書12章を見てみると、この女性が実は、マルタの妹のマリアであったことが分かります。マルタの妹マリア。もしくは、“ベタニアのマリア”とも呼ばれるこの女性は、昔から怒られてばかりでした。ルカの福音書10章には、次のような話が書かれています。


10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

 お姉ちゃんのマルタがあれこれ準備をしているのに、イエス様の話に夢中になっているマリア。「女は勉強なんかする必要はない」と言われていた当時の社会にもかかわらず、イエス様の教えを必死に学ぼうとするマリア。そして、相手が女性だろうと、全く差別することなく、熱心に福音を伝えるイエス様。もしかするとマリアには、今の時代で言えば、発達障害のような特性があったのかもしれません。一つのことに夢中になると、周りが見えなくなってしまう。そんなマリアをイエス様がかばってくれました。「マルタ、マルタ、マリアを叱らないでやってくれ。彼女は今、大切なことを学ぼうとしているんだ。そしてそれは、彼女だけのためではなく、この世界のためでもあるんだ。この世界がまことの自由を得るために、私の教えをマリアにも伝えたいんだ。」

 そんなマリアでしたから、イエス様が死んでしまうと分かった時、居ても立っても居られなくなった。大切な香油の壺を割ってしまった。明らかに衝動的な行動でした。向こう見ずで大胆な行動でした。また周りが見えなくなってしまった。また叱られてしまった。そんなマリアを見て、私たちも「やれやれ」と思うかもしれません。衝動的で、目の前しか見えなくて、周りをいつもハラハラさせるマリア。ところがイエス様だけは、そんな彼女の純粋さを喜んでおられた。

 私たちはむしろ、イエス様を信じると言いながら、どこか打算的になっていて、損得の計算ばかりしていて、合理的な判断ばかりを優先していないでしょうか。イエス様を純粋に信じ、イエス様のみことばを純粋に学ぼうとする思いを失っていないでしょうか。周りの目を気にして、いかに周りをハラハラさせないか、いかに周りを心配させないか、いかに周りに叱られないか、そのことばかりを気にして、イエス様が与えてくださった本当の自由を喜ぶことができなくなっていないでしょうか。私たちの中に、壊すことをためらっている「壺」があるのかもしれません。イエス様を全力で愛するのではなく、少しずつ愛することに満足してしまっている半端なところがあるのかもしれません。イエス様への愛に突き動かされて、イエス様に従いたい思いが溢れて、居ても立っても居られないということが、この頃あったでしょうか。私たちが持っている一番大切なものを丸ごと差し出してしまうくらいの愛情を、イエス様に対して注ぎ出すことがあるでしょうか。

 今日初めて教会に来た皆さんにも、ぜひお願いしたい。今すぐイエス様を信じろとは言いません。でも、少しずつでもイエス様の教えを聞く人になってほしいと思います。今すぐクリスチャンになれとは言いません。でも、ちょっとだけ優しい人間であるとか、ちょっとだけ困っている人を助けるとか、そんな中途半端な生き方で満足しないでほしいと思います。周りの目ばかり気にしていないで、周りと同じような人生を歩むことに安心していないで、マリアのような真っ直ぐさを学んでほしい。せっかくの人生、たった一度の人生、もっと衝動的に生きてみてほしい。あなたの名前は残らないとしても、あなたの生き方が「記念」として残るような、あなたの生き方がこの世界を少しでも変えるような、そんな人生をイエス様と一緒に歩み出してほしいと思うんです。

 今も自由が丘には、自由ヶ丘学園とトモヱ学園の卒業生たちによる「記念碑」が建てられているそうです。黒柳徹子さんも含む卒業生たちが建てた記念碑です。次のように書かれています。


私たちこの地に学び育まれた者は、ここに行なわれた教育が、時をこえて生き
続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いをこめて、この碑を建てる。

1988年 4月  自由ヶ丘学園小学校 トモヱ学園小学校  同窓生 並びに 関係者一同

 この記念碑が遺している志は、私たちキリスト者の信仰にも、深いところで繋がっている志だと思います。障害を持っていても、性別や人種の壁があっても、あらゆる子どもを受け入れて愛した手塚先生や小林先生の教育が、その生き様が、「自由が丘」という名前とともに刻まれています。彼らのその教育理念の根本には、ヨーロッパから受け継いだキリスト教思想がありました。「恩師への敬愛と感謝の思いをこめて」。私たちにとっては、イエス様への敬愛と感謝です。そして、彼の教えを必死に聞き取ろうとした、一人の女性の姿を覚えることです。彼女の生き方を私たちは「記念」し、彼女がイエス様から学んだ自由を受け継いでいきます。そして、私たちの歩みもまた、後の人々への「記念」として受け継がれていく。全ての人を愛し、全ての人のために十字架にかかったイエス様こそ、私たちの自由の源です。全ての人があらゆる差別を超えて愛し合う、そんな世界を造るために、私たちの小さな人生を、この方にお献げしましょう。イエス様のために全てを献げる人生は、誰が何と言おうと、決して「無駄」な人生にはなり得ません。お祈りします。


祈り

 まことの自由を与えるために、愛する独り子を遣わしてくださった父なる神様。私たちが、ちょっとだけ優しい人であることに満足することなく、自らの全てをこの世界のために、イエス様のために献げられるように、マリアのような大胆さをお与えください。壺を壊すことができるように、愛と勇気をお与えください。私たち一人一人の小さな人生を、自由をもたらすあなたの働きのために用いてください。そのためにまず私たち自身が、イエス様の教えを熱心に聞き取り、イエス様が与えてくださる自由を心から楽しむことができますように。自由な人として、このいのちを喜び楽しむことができますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。