No.118【弁証論⑨:なぜ人は罪を犯せるのか?】

◆先週のコラムでは、「なぜ神は戦争や貧困や災害などの悪を許容するのか?」という問いを扱い、〈悪の原因は神にではなく、罪を犯す人間にある〉と論じました。しかし、「それなら神はなぜ、“罪を犯せない存在”として人間を造らなかったのか?」という疑問も生まれます。

◆もし人間が、神の命令に従うロボットのような存在だったら、この世界には戦争も貧困も存在せず、地が呪われることもなかったでしょう。ただし、そこには“愛”も存在しないのです。“愛さない自由”がなければ、“愛”は生まれないからです。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」(第一コリント13:4-7)

◆“自由な存在として人間を造る”という賭けは、ある意味では失敗でした。しかし、神様には “プランB”がありました。“愛も悪もない世界”ではなく、“愛が悪に打ち勝つ世界”を望んだ神は、十字架上で二度目の“賭け”に挑んだのです。そしてその時、愛が罪に勝利し始めたのです。