2024年8月

週報コラム
No.124【「教会って家族なんですか?」】

◆「フロンティア青年宣教大会」へ参加し、たくさんの喜びと祝福を頂いたのは良いものの、ついでに流行りの病も頂いて(?)、人生最高の39.7度。1泊だけさせてもらうはずだった中野教会に4泊もお世話になってしまい、結局まるまる […]

続きを読む
聖書の説教
ヨハネ4:39-42「聞いて分かったのです」(まなか師)

・・・・・・先生はこんなこともおっしゃいました。「疑問を持つのは信仰成長のプロセスです。聖書に疑問をぶつければ、答えは必ず返ってきます。そしてその答えに対して、私たちがまた応答するというのが、イエス様と向き合い、イエス様と一緒に生きていく関係です。私たちのほうに応答する気があるなら、イエス様は必ずはっきりと語ってくださいます」。サマリアの人々もそうでした。一人の女性から「来て、見てください」と招かれ、「この方がキリストなのでしょうか」と問われて、実際に確かめてみようとやって来た・・・・・・

続きを読む
週報コラム
※ 今週のコラムは休載です

続きを読む
聖書の説教
秋山善久師「地の果てに届くことば」(マタイ28:11-20)

※ 本日の盛岡みなみ教会の日曜礼拝は、伝道師の体調不良のために急遽、仙台のぞみ教会の礼拝にZoomで合流となりました。

続きを読む
週報コラム
No.123【弁証論⑪:“みんな罪人”は事実か?】

◆「すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」(ローマ5:12)と聖書は語りますが、それは事実でしょうか?「一度は嘘ついたことあるよね?だからみんな罪人なんだよ」という答えも聞きますが、小さな嘘を死罪とするほ […]

続きを読む
聖書の説教
マルコ14:32-42「わたしの望むことではなく」(宣愛師)

・・・・・・「みんなが神様を忘れちゃう時って、どんな時?」すると、秋田から来ていた一人の男の子が、面白い答えをしてくれました。「ん~、楽しい時かなあ?」なかなか本質的な答えだと思いました。楽しい時に、私たちは神様を忘れてしまう。神様抜きで生きていけるかのような錯覚をしてしまう。でも、苦しくなると、辛い状況に陥ると、神様を思い出す。普段の祈りはテキトーなのに、お腹が痛くなった時にトイレの中で祈る祈りは誰よりも熱心。……イエス様の祈りは、“苦しい時の神頼み”ではなかった。「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」・・・・・・

続きを読む
週報コラム
No.122【秋田・岩手こどもキャンプ】※マナカ寄稿

◆先週日曜日から火曜日まで、秋田・岩手こどもキャンプで奉仕してまいりました。天気を心配していましたが、予報どおり雨が降り続き、屋外プログラムは絶望的……?かと思いきや、スイカ割りも、沢登りも、花火も、雨の合間に行うことが […]

続きを読む
聖書の説教
マルコ14:22-31「神の国で新しく」(宣愛師)

・・・・・・私はこれまで何人かの方に、“洗礼を受けない理由”を尋ねたことがあります。なぜ洗礼を受けないのか。ある人は、「まだまだ聖書の勉強が足りないからです」と答えてくれました。「家族に反対されているからです」と答えてくれた人もいました。理由は人それぞれです。こんなふうに答えてくれた人もいました。「もし洗礼を受けても、いつかイエス様を裏切ってしまうかもしれないから。」真面目な人でした。「洗礼を受けて、聖餐も受けさせていただくようになっても、もしイエス様を裏切ってしまったら、信仰を捨ててしまうようなことがあったら、それが一番申し訳ない。それが一番やってはいけないことだと思う。だから、私はまだ洗礼は受けられないんです。」・・・・・・

続きを読む