2024年9月
No.129【「女は静かにしていろ」? 「子を産めば救われる」?】
◆本日の説教の担当はまなか先生ですが、「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。むしろ、静かにしていなさい」(『テモテへの手紙 第一』2章12節)というパウロの言葉を思い出した方は、「女性が説教してもいいん […]
ヨハネ4:43-54「しるしの信仰、ことばの信仰」(まなか師)
・・・・・・しるしによる信仰、みわざを求める信仰は、順境のときであれば問題ありません。自分は守られていて、自分は祝福されていると感じられる限りは、大丈夫です。……でも逆境のときはどうでしょうか。私たちは、イエス様が現実を奇跡的に変えてくださらないと、イエス様のことが分からなくなってしまうことがないでしょうか。それは結局のところ、イエスのことばを信じる信仰ではなく、イエスのしるしを求める信仰です・・・・・・
No.128【唯一神なのに、「われわれ」?】
◆〈神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう……」〉という創世記1章26節の記述を読んで、「あれっ?神様はおひとりなのに、“われわれ”?」と疑問を持った方もいるでしょう。説教の中では省い […]
創世記1:26-28「神のかたち」(宣愛師)
・・・・・・「支配」という日本語は、ちょっと不思議な言葉だなあと、前々から思っていました。「支配」と聞けば、力ずくでコントロールするとか、無理やり従わせるとか、そんな印象を持つわけですが、少なくとも漢字に分解して考えてみれば、「支配」の「支」という漢字も、「配」という漢字も、そんなニュアンスではない。気になって調べてみましたら、「支配」という言葉はもともと、「量って配る」という意味だったのだそうです・・・・・・
No.127【“未信者”との関わり方】
◆本日午後の教会セミナー(勉強会)では、「“未信者”との関わり方」というテーマで学びたいと思っています。「そもそも、クリスチャンではない人たちのことを“未信者”と呼ぶのはどうなんだ?」「ちょっと上から目線に聞こえないだろ […]
マルコ14:53-65「しかし、イエスは黙ったまま」(宣愛師)
・・・・・・なぜ、そこまでしてイエス様を殺したいのでしょうか。彼らはなぜ、殺したいほどにイエス様を憎んでいたのでしょうか。ある人たちは、「イエスという人物は、人々に良い生き方を教えた教師だった」と考えます。たしかに、イエス様は教師でした。良い生き方とは何か、幸せな人生とは何か、そのことを人々に教えた教師。しかし、それだけだとすれば、なぜイエス様はここまで憎まれなければならなかったのか。イエス様は、間違いなくそれ以上の存在だった。そのことに気づいた「祭司長たち、長老たち、律法学者たち」は、このイエスという人物を殺さずにはいられなくなったのです・・・・・・
No.126【補教師研修会のご報告】
◆2022年はコロナ禍でZoom受講、2023年は自分自身のコロナ発症で録音受講となった補教師研修会。今年は対面での参加が叶いました。友人たちや先輩たちと再会できたり、五年ぶりの浜名湖が嬉しかったり、幸いな四日間でした。 […]
秋山善久師「主の御声を聴く者」(第一サムエル3:1-14)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第13回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。
No.125【論より証拠】
◆今年4月に始めた“キリスト教弁証論”の連載では、これまで11個の問いを取り上げました。自分の能力の限界やスペースの限界(40文字×12行?)と格闘しつつ、「だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(第一ペテロ […]
マルコ14:43-52「聖書が成就するため」(宣愛師)
・・・・・・いろいろ調べていくうちに、悲しい現実に気づいてしまいました。人間不信は連鎖していく、という現実です。人間不信になってしまった人は、自分の周りの人たちにも人間不信を広げてしまう傾向がある。常に周りの人を疑っているから、自分の本音を言えない。家族や親しい友人に対してさえ、自分の本当の気持ちを正直に伝えることができない。すると何が起こるか。人間不信で苦しんでいるあなたのことを、周りの人も信じられなくなるんです。悪循環です。このようなことが世界中で起こり続けている。誰かがこの連鎖を止めなければなりません。しかし、私たち人間が解決するには、あまりにも重すぎる問題かもしれません。一体だれが私たちを救えるのか・・・・・・