No.128【唯一神なのに、「われわれ」?】

〈神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう……」〉という創世記1章26節の記述を読んで、「あれっ?神様はおひとりなのに、“われわれ”?」と疑問を持った方もいるでしょう。説教の中では省いてしまったので、こちらで少しご説明を。

◆第一の説は、〈①熟慮の複数形〉です。英語の「Let us ○○(= 私たちは○○しよう)」が、「よし、 ○○するか」という独り言にもなるように、ヘブル語の「われわれは○○しよう」も、 “熟慮の結果としての独り言”になるのではないか、という説です。第二の説は、〈②協議の複数形〉です。「わたし(神)が地の基を定めたとき……神の子(天使)たちがみな喜び叫んだ」とあるように(ヨブ記38:4-7)、神様は天使たちに語りかけたのではないか、という説です。

◆この二つが最有力なのですが、〈③三位一体の複数形〉も捨てがたい。創世記1章2節には「神の霊」が登場しますし、コロサイ1章15節には「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方」とあるからです(箴言8:30やヨハネ1:3も参照)。創世記の時点ではまだ謎だった部分が、後の啓示で明らかになる。これも聖書の“神秘”です。