ルカ14:12-14「サンタクロースの幸せ」(宣愛師)
2024年12月15日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『ルカの福音書』14章12-14節
14:12 イエスはまた、ご自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。
13 食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。
14 その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」
「お返し」 の輪っか
クリスマスの季節は、楽しいイベントの季節です。私たちの教会でも来週は「クリスマス礼拝・祝会」を行います。教会メンバーが料理を持ち寄って、楽しい食事会を準備します。この季節が近づくと、教会の週報にはこんな言葉が載せられます。「ぜひご家族やご友人をお誘いください。」
ところが、クリスマスの主役であるイエス様は、「ぜひご家族やご友人をお誘いください」ではなくて、次のように仰ったのです。ルカの福音書14章12節。
14:12 イエスはまた、ご自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。
クリスマスではよく、「プレゼント交換」というものが行われます。Aさんが準備したプレゼントはBさんに渡され、Bさんが準備したプレゼントはCさんに、CさんのプレゼントはAさんに、というふうにして、プレゼントをあげても必ずプレゼントが返ってくる仕組みになっているわけです。「お返し」がもらえることが前提となっているんです。
プレゼント交換というやり方をしない場合にも、「お返し」が前提になっていることは多いかもしれません。「この一年間、良い子にがんばっていたから、はい、プレゼント。」「この一年間、たくさんお世話になったから、はい、プレゼント。」そして、「来年もよろしくね。」プレゼントそのものが、意識するかしないかにかかわらず、すでに「お返し」ありきのものとなっている。
お互いにプレゼントを交換します。それはすばらしいことです。お世話になった人へのお礼としてプレゼントを贈る。それもすばらしい。しかし、そのような“輪っか”の中に入れない人たちがいることを、私たちは忘れていないでしょうか。生活に余裕がなくて、「お返し」のプレゼントを用意できない人たちが、プレゼントを贈り合う輪っかの中からはじき出されていないでしょうか。「良い子だね」と褒めてもらえない子どもたちや、だれかをお世話するどころかお世話になりっぱなしだった人たちには、プレゼントをもらう資格がない。「お返し」が用意できない人たちには、クリスマスを堂々と祝う資格などない。それが本当のクリスマスなのでしょうか。
学校でも、職場でも、私たちはついつい、「お返し」を前提とした人間関係を作ってしまうもののかもしれません。あの人は人気者だから、あの人は勉強を教えてくれるから、あの人は自分に優しくしてくれるから、だから仲良くしておこう。あの人と友だちになっておけば、色々とメリットがあるから。そうやって人を選んで、人を能力や損得で判断して、狭い輪っかを作っていく。狭いグループを作っていく。輪っかに入れず孤立している人たちのことなんて忘れたままです。
サンタさんの幸せ
「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。」そのように仰ったイエス様は、続けて次のようにも仰りました。
13 食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。
14 その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。
今の時代は、からだが不自由でも立派にお仕事をする人が増えてきました。しかしイエス様の時代は、いわゆる“障害者”が働ける環境はほとんどありませんでした。働けないということは、誰かのお世話をすることができず、誰かのお世話になりっぱなしだということでもありました。「お返し」が用意できないということでした。しかし、そのような人たちを「招きなさい」と、イエス様は仰ったんです。そうすれば、神様からすばらしい「お返し」をいただけるのだよ、と。
サンタクロースというのは本来、何の「お返し」もできないような貧しい子どもたちにプレゼントを届ける存在でした。しかしいつの間にか私たち大人は、「ちゃんと良い子にしてたら、サンタさんからプレゼントがもらえるよ」と言ってしまうようになりました。そうやって、本来のクリスマスの喜びを歪め、狭めてしまうようになりました。私たちクリスチャンも、「教会でぜひ本当のクリスマスを祝いましょう」と言いながら、どこか間違った祝い方をしているということがあるかもしれません。
本当のサンタさんは、「お返し」を求めません。クリスマスにサンタさんからプレゼントを貰ったら、お歳暮にビールを一箱送らなきゃ、なんてことはありません。プレゼントを配り終えたら、「お返し」をさせるタイミングもなく、サンタさんはいなくなります。「ただでプレゼントをくれるなんて信じられない。きっとパパやママがこっそりお金を握らせているに違いない」と疑いたくなるかもしれませんが、そうではないのです。
なぜサンタさんは「お返し」を求めないのでしょうか。どうしてサンタさんは、「お返し」がもらえなくても、プレゼントを配り続けるのでしょうか。それは、週報のコラムにも少し書きましたけれども、サンタさんもイエス様を信じるクリスチャンだからです。「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです」というイエス様のことばを、サンタさんも信じているからです。
もちろん、プレゼント交換が悪いわけではありません。お世話になった人にお返しをすることが悪いわけでもありません。しかし、本当のクリスマスは、イエス様のクリスマスの喜びは、もっともっと広い輪っかを作るものだったのだということを、私たちは思い出したいと思うのです。
サンタさんは今日も「お返し」を求めずに、貧しい人々、良い子じゃない人々、「お返しができない」人たちのところへ駆けつけています。それが、サンタさんの一番の喜び、一番の幸せなのです。「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。」イエス様のみことばが、今日も世界中のサンタさんの心の中に響いているのです。私たちもイエス様のみことばに従う者となって、クリスマスの本当の幸せを取り戻していきたいと思います。お祈りをいたします。
祈り
私たちの父なる神様。いつの間にか私たちは、「お返し」がなければ成り立たないクリスマスをお祝いしてしまっていたのかもしれません。自分の気に入った人たちだけを招くような狭くて歪んだクリスマスを作ってしまっていたかもしれません。どうか私たちにも、サンタさんの喜びを教えてください。そして、「お返し」のいらない温かい世界を作っていけるように、「お返し」がなくても皆が大切にし合えるような世界を作っていけるように、イエス様の心を教えてください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。