ルカ2:8-12「飼葉桶のにおい」(宣愛師)
2024年12月22日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『ルカの福音書』2章8-12節
8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
「脳裏に焼き付く香り」
とあるニュースで、「動物園のにおいを何とかしてほしい」というクレームが取り上げられていました。「動物園自体は楽しかったのだけれども、においがきつい。どうにかならないのか。」 また、このニュースとは別の動物園ですが、ある動物園のスタッフさんが書いているブログの中でも、「ニオイのお話」という記事がありました。カンガルーのお世話をする人、ペンギンのお世話をする人、それぞれにニオイが違うのだそうです。中でもヤギのニオイは強烈らしく、チーズの独特なニオイを何十倍にもしたようなもので、「脳裏に焼き付く香り」なんだとか。
クリスマスの物語に登場する「羊飼いたち」も、そのような強烈なニオイをまとう人々だったのかもしれません。8節をお読みします。
8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
昼も夜も休みなく羊たちのお世話をして、時にはおしっこやうんちの片付けもして、ダラダラに汗をかいても着替える服もない。ときどき水浴びをしても、強烈なニオイはなかなか落とせない。町の中に入れば、「こっちに来るな、あっちに行け」と言われてしまうような、臭くて汚い羊飼いたち。当時の社会において差別され、見下されていた羊飼いたち。しかし、世界で初めてのクリスマスの知らせは、そんな羊飼いたちのもとにやってきました。9節から12節まで。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
羊飼いたちは恐れました。怖くなりました。こんな自分たちのところに、こんな薄汚い自分たちのところに、どうして天使が現れるのか。光り輝く天使たちの姿を見て、恐ろしくなったのでしょう。その光に照らされて、自分たちのみっともない姿が恥ずかしくなったのでしょう。この聖なる天使は、薄汚い自分たちを滅ぼしに来たのではないか、とさえ思ったかもしれません。
しかし天使は、「恐れることはありません」と言いました。恐れる必要も、恥ずかしがる必要もない。「あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」そしてその救い主は、「布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりご」なのだと、天使は言ったのです。
クリスマスを描くキリスト教の絵画はたくさんありますが、多くの場合、小さなイエス様のからだがうっすら光り輝いていて、いかにも「この赤ちゃんが救い主ですよ」と一目でわかるような描かれ方になっています。たしかに、普通の赤ちゃんとは違って、イエス様がピカピカと光っていたら、「ああ、この方こそまことの救い主だ」と分かりやすい。しかし天使が語ったのは、「あなたがたは、光り輝くみどりごを見つけます」ということではありませんでした。
「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」それがなぜ、「あなたがたのためのしるし」なのでしょうか。「しるし」にしては分かりにくいような気がします。もっと救い主にふさわしい「しるし」があるような気がします。でも、羊飼いたちにとってはよく分かる「しるし」でした。もしも救い主が、立派な王様の宮殿や、清潔な病院のような場所でお生まれになっていたら、自分たちはそこに行けない。もしも救い主が、ピカピカ光り輝くようなお方だったら、自分たちの姿が恥ずかしくて会いに行けない。でも、救い主は「飼葉桶に寝ている」。そこは動物たちが住む場所だ。動物のニオイでいっぱいの場所だ。宮殿や病院には入れてもらえない僕たちでも、そのままの姿で会いに行ける場所だ。
リスクか、SOSか
嫌なニオイ、不快なニオイを避けるというのは、人間にとって自然なことだとも言えます。自分の身を守るための本能だとも言えるかもしれません。食べ物の腐ったニオイが分かれば、お腹を壊さずに済む。汗や排泄物を正しく処理していれば、肌荒れや病気のリスクも減る。ニオイを適切に扱い、不快なニオイを避けることによって、人間は安全で健康な生活を送ることができる。
しかしそれと同時に、不快なニオイというものは、人間が発するSOSでもあるのかもしれません。NHKのラジオ記事の中で、こんな質問がありました。「ずばり体のニオイの正体とは何なのでしょうか。」この質問に対して、ある大学教授が次のように答えていました。「体のニオイとは、皮膚から出ているガスのニオイです。」そしてその教授は、ニオイの種類として、「汗臭」や「疲労臭」について説明しました。「汗」そのものにはニオイはないのだけれども、汗が放置されて、皮膚にいる菌によって分解されると、すっぱい「汗臭」がする。また、心配性で緊張しやすい人は、ストレスなどが原因で血液中のアンモニアが増えやすく、「疲労臭」が強くなる。
心の元気がなくなったり、生活に余裕がなくなると、お風呂に入れなかったり、洗濯がうまくできなかったりして、どうしてもニオイが出てしまう、ということもあるでしょう。身体がSOSのサインを出しているとも言えるかもしれません。疲れやストレスが溜まっているサイン。体調を崩しているサイン。生活が崩れて、自分を大切にできていないサイン。誰かの助けを必要としているサイン。神様が私たち人間に与えてくださったサインだとも言えるかもしれません。「助けを必要としている人がここにいるよ」と、その人の代わりに、神様が語りかけておられるのかもしれません。
このSOSを、私たちは正しく受け取ることができているでしょうか。羊飼いたちを差別した当時の人々のように、自分の安全、自分の健康、自分の清潔さを優先して、「こっちに来るな、あっちに行け」と追い出してしまうような冷たい心では、このSOSに気づくことはできません。
「臭いものに蓋をする」という言葉があります。都合の悪いことはとりあえず隠しておく、という意味です。私たちは誰しも、多かれ少なかれ「臭いものに蓋をして」生きています。人には言えないようなこと、失敗や罪や恥を抱えて生きています。しかし、それが隠しきれなくなる時があるのです。そうすると、周りの人はみんな離れていってしまうのです。それが怖いから、必死に蓋をして、取り繕って生きているのです。でも、みんなが離れていってしまうその時に、「このニオイは、助けを必要としているニオイだ」と気づいてくれる人がいたら、手を差し伸べてくれる人がいたら、心強いのです。涙が出るほど嬉しいのです。
救い主が住まう場所
聖書の中には、イエス様がまことの救い主であることを指し示す「しるし」が数多く記録されています。イエス様が病気の人を癒やしたこと。イエス様が悪霊たちを追い出したこと。イエス様が死者の中から復活されたこと。これらすべての「しるし」が、イエス様がまことの救い主であることを指し示しています。しかし私たちが今日、このクリスマスの日において心に刻みたい「しるし」は、まことの救い主は、自分の安全、自分の健康、自分の清潔さを優先するようなお方ではなく、それらすべてを捨ててでもまず、臭くて汚い羊飼いたちのために、臭くて汚い家畜小屋の中にお生まれになったお方だ、ということです。
聖書は、イエス様を信じる者には、その心の中にイエス様が住んでくださる、と語っています。そうすると私たちは、こんな自分の汚い心の中には、イエス様は住んでくださらないだろうと思ってしまいます。まず自分の心を綺麗にしなければ、と思ってしまいます。しかし、イエス様が住みたいと思う心とは、綺麗で清潔な心ではないのです。むしろ、羊飼いたちを受け入れないような、羊飼いたちが入ることを躊躇してしまうような綺麗で清潔な場所には、イエス様はお住まいにならないのです。イエス様が住みたいと願われる心とは、羊飼いたちを受け入れる用意のある心です。自分だって実は心の奥底は汚いんだということを認め、だからこそ同じ罪を持つ隣人を受け入れることができる、そのような心をイエス様は求めておられるのです。
クリスマスとは、清潔な部屋に清潔な人々が集まり、その外では羊飼いたちが寂しそうに取り残されてしまう、そんなものではありません。クリスマスとは、色々な汚れやニオイがついているけれども、そこに確かにイエス様がいてくださって、羊飼いたちが安心して安らいでいる、ということです。このクリスマスの心が、私たちの心となることを、切に祈り求めたいと思います。ご一緒に祈りましょう。
祈り
天のお父さま。「脳裏に焼き付く香り」を身にまとう羊飼いたちを、イエス様は喜んで愛されました。私たちにも、隣人のSOSに気づくことのできる心をお与えください。清潔さを求めるあまりに、イエス様も羊飼いたちも拒んでしまうような、そのような私たちの心を造り変えてください。汚い部屋ですけれども、イエス様が私たちの心にお住まいくださって、クリスマスのあたたかな幸いを教えてくださいますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。