マタイ2:19-23「彼はナザレ人と呼ばれる」(宣愛師)
2025年1月5日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マタイの福音書』2章19-23節
2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。
20「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」
21 そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。
22 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。
23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。
「幼子のいのちを狙っていた者たち」
週報の「ノアコラム」を読んでくださっている方は、先週の内容を覚えておられるでしょうか。明日1月6日は「公現日(エピファニー)」と呼ばれる日であり、このエピファニーを祝うまではクリスマスシーズンが続く、という話でした。イエス様の誕生を祝うのがクリスマスだとすれば、イエス様の誕生の後に起こったことを記念するのがエピファニーだと言えるでしょう。
今日の聖書箇所は、イエス様がお生まれになった後に起こった、ある悲惨な出来事の記録です。マタイの福音書2章の19節から21節までをお読みします。
2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。
20「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」
21 そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。
ヘロデという人が、生まれたばかりのイエス様を殺そうとしていました。それでヨセフとマリアは、イエス様を守るためにエジプトに逃げていました。どうしてヘロデは、イエス様を殺そうとしたのでしょうか。ヘロデは王様でした。ユダヤ人の王でした。しかし、東の国から博士たちがやって来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」などと言い始めた。新しい王が生まれただって? ヘロデは怖くなりました。自分が王なのに、新しい王が生まれるなんて許せない。自分の世界が壊されることが怖い。そしてついにヘロデは、新しく生まれたというその幼子を殺すために、ベツレヘムにいる赤ちゃんを皆殺しにし始めたのです。
ヘロデという男は、自分の権力を守るためになら誰でも殺しました。自分が支配する世界を脅かす存在は、生まれたばかりの赤ちゃんだろうと、自分の家族であろうと、殺してしまう人でした。私たちはヘロデの姿を見て、なんて残酷な奴だと思います。しかし私たちもまた、自分の世界を守るために、自分の快適な生活を守るために、周りの人々を殺すことまではしないとしても、排除したり、拒否したり、場合によっては見殺しにするようなことがあるかもしれません。自分こそが王様だ。自分の人生は自分で決めるのだ。誰にも邪魔はさせない。邪魔をする存在がいれば、無視をする。助けを求める人がいても、知らないフリをする。自分の世界に閉じこもる。私の快適な世界、私の思う通りの人生を脅かすのであれば、それが誰であろうと、イエス様であろうと、徹底的に排除する。
私たちの心の中にいるヘロデが死ななければ、イエス様が私たちの心の中に入ってくることはできません。自分こそが王様だ、自分の人生は自分で決めるのだ、という思いを捨てなければ、どんなにクリスマスを盛大に祝ったとしても、ほんとうの意味でイエス様を新しい王としてお迎えすることはできないのです。
「彼はナザレ人と呼ばれる」
22節と23節をお読みします。
22しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。
23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。
ヘロデの息子のアルケラオも、父親と同じように残虐な男でした。父ヘロデが死んだ後すぐ、まだアルケラオが王として任命される前から、アルケラオは自分に反乱する三千人のユダヤ人を殺してしまいました。ヨセフやマリアは、エジプトからイスラエルに帰ろうとした時に、この事件を耳にしたのかもしれません。ヨセフたちはナザレという小さな村に住むことになりました。
すると23節には、〈これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった〉と書かれています。ところが不思議なことに、旧約聖書のどこを読んでも、「彼はナザレ人と呼ばれる」という言葉はありません。そもそも、「ナザレ」という言葉さえ、旧約聖書のどこにも書かれていないのです。一体どういうことなのか。いくつかの説があります。
一つ目の説は、ここで言われている「ナザレ人」というのは、旧約聖書の「ナジル人」のことなのではないか、というものです。「ナジル人」というのは、髪の毛を切らないとか、お酒を飲まないとか、そういう特別な定めによって、自分のからだを神様にお献げする存在のことです。旧約聖書ではサムソンという人がナジル人として有名であり、新約聖書ではバプテスマのヨハネがナジル人的な生活をしていました。しかし、イエス様がナジル人として生活したとはどこにも書かれていませんし、むしろイエス様は結構お酒を飲む人でしたから、「ナザレ人」が「ナジル人」のことだというのはちょっと無理がありそうです。
二つ目の説は、ヘブライ語の掛詞なのではないか、というものです。「ナザレ人」というのはヘブライ語では「ナツァレト」と言います。また、先週の礼拝説教でもお読みしたイザヤ書11章1節には「若枝」ということばが出てきまして、これが救い主メシアを指す言葉だとお話ししましたが、この「若枝」という言葉はヘブライ語では「ネツェル」と言います。つまり、「ナザレ人(ナツァレト)」と「ネツェル(若枝)」とが言葉遊びになっているのではないか、というわけです。かなり説得力のある説ではあるのですが、マタイの福音書が書かれたのはヘブライ語ではなくギリシャ語でして、ギリシャ語ではこの掛詞は成立しない、という問題点があります。
三つ目の説は、マタイの細かな表現に注目するものです。マタイ2章23節をよく読んでみると、「預言者を通して」ではなく、「預言者たちを通して」と書かれています。つまり、「彼はナザレ人と呼ばれる」という言葉は、一人の預言者が語ったある特定の言葉ではなく、多くの預言者たちが様々な場面で語っていたことを、マタイが一つの言葉にまとめたのではないか、とも考えられるのです。
「ナザレ」という村は小さく貧しい農村でした。あまりにも小さすぎて、救い主がお生まれになるような場所だとは思われていませんでした。ヨハネの福音書1章46節には、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という言葉が記録されています。ナザレから何か良いものが出るだろうか。あんな辺鄙なみずぼらしい村から、救い主がお生まれになるはずがない。
ところが「預言者たち」は、救い主について次のように預言していたのです。預言者ゼカリヤは、救い主は立派な馬に乗って来るのではなく、むしろ弱々しいろばの子どもに乗って来ると預言しました。ゼカリヤ書の9章9節をお読みします。
9:9 娘シオンよ、大いに喜べ。
娘エルサレムよ、喜び叫べ。
見よ、あなたの王があなたのところに来る。
義なる者で、勝利を得、
柔和な者で、ろばに乗って。
雌ろばの子である、ろばに乗って。
また、メシアを指し示す預言として理解された詩篇118篇も、次のように語りました。
118:22 家を建てる者たちが捨てた石
それが要の石となった。
23 これは主がなさったこと。
私たちの目には不思議なことだ。
そして、最も有名な預言者であるイザヤも、救い主について次のように語っていました。
53:2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。
砂漠の地から出た根のように。
彼には見るべき姿も輝きもなく、
私たちが慕うような見栄えもない。
3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑まれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
救い主メシアには、「私たちが慕うような見栄えもない。」これが、預言者たちが語り続けていたことでした。預言者ゼカリヤや詩篇の記者たちも、救い主は貧しい姿をしてやって来るのだと語っていました。おそらくマタイは、これらすべての預言を、「彼はナザレ人と呼ばれる」という一つの言葉に集約させたのでしょう。救い主が、貧しい小さな村の人となってくださった。救い主が、小さく貧しい私たちの一人ひとりの仲間となってくださった。これこそが旧約聖書の救いの約束の成就であると、マタイは伝えたかったのではないでしょうか。
そして“盛岡人”になる
救い主は「ナザレ人」になってくださった。神であるはずのお方が、人間になってくださった、というだけではない。人間の中でも最も貧しい、小さな、みすぼらしい村人の一人になってくださった。救い主はナザレ人となり、ナザレ人と共に生き、そして「ナザレのイエス」と呼ばれた。
この方を私たちの王様としてお迎えするということは、私たちもまたこの方のように、この方の生き方に従って生きるということです。イエス様が私たちのために「ナザレ人」になってくださったのなら、私たちも誰かのために、私たちの周りにいる見捨てられた人々のために、自分自身の権力を手放し、快適な世界から一歩外に出て、「ナザレ人」になるということです。
私が盛岡に引っ越してきた時、まず住所を盛岡市に移しました。まなか先生と結婚した時は、岩手県盛岡市本宮を本籍として提出しました。中古車を両親から譲ってもらった時には、ナンバープレートはそのまま新潟ナンバーにしておくこともできましたし、そうしたほうがお金もかからず楽でしたけれども、すぐに盛岡ナンバーに変更する手続きを行いました。形だけの話ではありますが、盛岡に生きる皆さんと一緒になりたかった、私たちも盛岡人になりたいと思いました。
もちろん、住所を移したからと言って、本当の意味でその土地の人になれるとは限りません。実話ではないようですが、マリー・アントワネットに関する有名なエピソードがあります。もともとはオーストリアの王女だったマリー・アントワネットは、フランス王家に嫁いでフランスの女王となりました。その頃、フランスの人々は貧しさに苦しみ、飢えを耐え忍び、あちこちで暴動が起こり始めていました。そんな民衆についてアントワネットは、「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言った。フランスの貧しい民衆は、自分たちの国の女王が自分たちと同じ“フランス人”であるはずなのに、しかし決して自分たちと同じ“フランス人”になってはくれないことにますます激怒し、ついにフランス革命が起こりました。
私たちも、彼女ほどに無知ではないとしても、彼女と似たような冷たい心を持っていることがあるかもしれません。「成績が悪いなら塾に行けばいいじゃない」とか、「お金がないなら節約すればいいじゃない」とか、「仕事がないならハローワークに行けばいいじゃない」とか、そういう心無い言葉で、もしくはそのような態度で、誰かを深く傷つけていることがあるかもしれません。それは、私たちがまだ「ナザレ人」になることができていない、ということを表しています。
独裁者ヒトラーがドイツを支配していた時代、ヒトラーに抵抗する「告白教会」というグループの中に、ディートリヒ・ボンヘッファーという牧師がいました。ボンヘッファーは一時期、悩んだ末にドイツからアメリカに渡りました。アメリカの人々と協力することによって、遠距離からドイツの人々を支援しようと考えたのです。ボンヘッファーの多くの友人たちも、ボンヘッファー自身のいのちの安全のためにそうすべきだと考えました。しかし、アメリカに到着した後、彼は次のような手紙を書き、友人たちの反対を押し切ってドイツに帰国したといいます。
ラインホルド・ニーバーへの書簡。(S.R.ヘインズ, L.B.ヘイル共著『はじめてのボンヘッファー』教文館, 70頁)
私がアメリカに来たのは間違いでした。私は私たちの国の歴史のこの困難な時期を、ドイツのキリスト者と共に生きなければなりません。もし私が、この試練の時を、私の同胞と分かち合うことをしなければ、私は戦後のドイツにおけるキリスト者の生活の再建に関与する正当な権利を持つことが出来なくなるでしょう。
こうしてドイツに帰国したボンヘッファーは、ヒトラーに対する抵抗運動の中心的人物となり、ついに逮捕され、処刑されました。やがて戦争は終わり、ヒトラーは自殺しました。ボンヘッファーはドイツの平和を再び見ることなく死んでしまい、ドイツの教会が再建されるその時代を生きることができませんでした。しかしボンヘッファーの生き様が、友のためにいのちを捨てることを厭わなかった彼の生き様が、ドイツの教会や国家が立ち直るための力となりました。
私たちも隣人とともに生きる「ナザレ人」になりたいと願います。自分の快適な世界に閉じこもって周りの人々を排除するヘロデの心を抱き続けるのではなく、まことの意味で“盛岡人”になって、この地に生きる人々の友となっていくことを祈り求めたいと思います。
以前、盛岡みなみ教会のある方が、「宣愛先生はいつまで盛岡にいるんですか?」と尋ねてくださいました。そして、お世辞か冗談だとは思いましたが、「宣愛先生が行くところなら、どこにでもついて行きますよ!」とも言ってくださいました。そう言っていただけたのはすごく嬉しかったのですが、しかし私たち牧会者が心から願っていることは、教会の皆さんが私たちの行くところについて来てくれることではなくて、むしろ私たちがいつの日かとこかに行かなければとしても、愛する皆さんを置いてここを離れなければならない日が来たとしても、この教会に集うお一人お一人がまことの盛岡人としてこの地にとどまり、小さな人々、孤独な人々、貧しい人々に寄り添い、この盛岡の地にあって主の教会として堅く立ってくださることです。自分自身の世界に閉じこもり、自分の快適な世界を脅かす人々を排除し続けるヘロデの心が、貧しい隣人の世界に自ら飛び込んでくださった主イエスの心へと変えられていく、そんな2025年の歩みを、皆さんとご一緒に歩み出したいと思います。お祈りをいたします。
祈り
私たちの父なる神様。私たちの心の中にヘロデがいます。ヘロデのように、アルケラオのように、アントワネットのように、自分の世界に閉じこもってしまう狭い生き方をしてしまいます。人の痛みが分からない人間です。心ない言葉で、心ない態度で、周りの人を傷つけている人間です。どうか、私たちをナザレ人イエスの弟子として育て、ナザレ人イエスの教会として歩ませてくださいますように。私たちの人生を救い主におささげし、それゆえに隣人のためにいのちを捨てることができますように。盛岡みなみ教会の交わりがこの地に存在していることが、ますます多くの人の慰めとなっていきますように。救い主イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。