No.149【「では、神はいつ生まれたのか?」】

◆先週の説教では、「ビッグバンの前には何があったのか?」という問題を取り扱いました。そして、「宇宙の始まりを神様抜きで説明するのは難しい」というお話をしました。すると、この説教を聴いたHくんが後日、こんな質問をくれました。「でも、クリスチャンではない人からすれば、『では、神はいつ生まれたのか?』という話になるんじゃないでしょうか?」

◆(Hが真面目なこと言うなんて久々)という個人的感慨はさておき、的を射た質問です。ここで大切なのは、「いつ」という問いは“時間”の存在を前提としている、ということです。「いつ」とか、「の前に」とか、「の後に」というのは、“時間”がなければ意味をなしません。そして、“時間”を造ったのが神ならば、「神はいつ生まれたのか?」という問いは無意味です。

◆「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1章1節)。それでは、“はじめ”の前には何が? “時間の外側”とはどういうことか?―――理解不能です。しかし、思考停止ではありません。思考するからこそ人は自らの限界を知り、無限の神を正しく知るのです。「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。」(ヨブ記38章4節)