No.151【盛岡と沿岸の“距離”】

◆【盛岡 沿岸 関係性】などと調べていたら、「盛岡市民のプライド」というページを発見。〈盛岡は常に「岩手県で一番」で然るべき、と信じている〉〈盛岡市民ではあるが、岩手県民だという意識は薄い〉〈盛岡以外の岩手県を「郡部」として一括認識〉〈「盛岡人は優秀」という教育が暗黙のうちに為されている〉など、根拠不明(?)の“あるある”が列挙されていました。

◆山火事の知らせを聞きながら、盛岡と沿岸地域の“距離”について考えさせられています。盛岡には「沿岸は岩手じゃない」と語る人がいる一方で、沿岸にも「盛岡は岩手じゃない」と語る人がいるそうです。互いに互いを見下し合うような悲しい“距離”を感じます。しかし、3.11によってこの“距離”も少しずつ縮まっている、という前向きな話も聞きます。今回の火事も「対岸の火事」に終わらせず、この“距離”を見つめ直すきっかけとできるでしょうか。

◆聖書に耳を傾けつつ、祈り続けたいと思います。「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。」(ローマ12:15-16)