No.153【 「主は唯一である」とは?】
◆「主は唯一である」(申命記6章4節)と聖書には書かれています。ところがキリスト教会は「御父」「御子」「御霊」の“三位一体の神”を礼拝します。「唯一」なのに「三つの位格」がある。これはどういうことなのか?―――大切なのは、「唯一〔エハド〕」というヘブル語の意味です。
◆たとえば創世記2章24節には、「ふたりは一体〔バサル・エハド〕となる」と書かれています。アダムとエバは別々の人間なのに、「唯一〔エハド〕」なのです。それと同じように御父と御子と御霊も、別々の存在でありながら、「唯一〔エハド〕」なのです。なお、マタイ28章19節では、「父、子、聖霊の名」と語られて、“三つの位格”が登場するにもかかわらず、「名」というギリシャ語は単数形です。
◆また、マラキ書2章10節は、「唯一〔エハド〕の神が、私たちを創造されたではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り、私たちの先祖の契約を汚すのか」と嘆いて、“神の民の一致”を願っています。さらにゼカリヤ書14章9節も、「主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一〔エハド〕となられ、御名も唯一〔エハド〕となる」と語り、“唯一の王による全世界の一致”を予告しています。「主は唯一である」という告白は、分断だらけの世の救いを願う、平和の祈りでもあるのです。