No.154【牧師の"按手"を受けました】
◆牧師(正教師)となるための“按手”を受けました。動画中継をご覧になった方は、〈膝立ちでうつむく若者たちの頭に手を置いて祈る理事たち〉という不思議な光景を見て驚いたかもしれません。そんな不思議さや異様さ(?)も、一生ものの儀式には必要なのかもしれません。僕自身にとっても(膝が痛くてプルプルしたことも含めて)忘れられない日となりそうです。
◆キリスト教界の専門用語では、伝道師(補教師)となる儀式を“准允(じゅんいん)”と呼び、牧師(正教師)となる儀式を“按手(あんしゅ)”と呼んでいます。〈聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した〉(使徒13:2-3)―――このような祈りが“按手”です。
◆また聖書には、牧師(監督)の条件として、「わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり……」と書かれています(テトス1章7-9節)。「わがままでなく」からいきなり心配なので、これからも皆さんの助けが必要です。お祈りよろしくお願いします!