2025年4月
No.158【イースターエッグとエッグハント】新着!!
◆昨年のイースターに初めて教会に来たKくんは、礼拝後に突然始まった“エッグハント”に参加させられ、「一体これは何の時間なんだろう?」と困惑しつつも、とりあえず周りの人たちの動きに合わせて礼拝堂を歩き回っていたそうです。K […]
第一コリント15:50-58「無駄でないと言える人生」(宣愛師)新着!!
・・・・・・神の国を待ち望む私たちにとって、「今さら何をやっても無駄だ」ということはあり得ません。今さら何か勉強を始めてみたって、今さら何かを頑張ってみたって、どうせもう間に合わない、もう遅すぎると諦める必要はないのです。「天国には何も持っていけない」というのは嘘です。新しい世界が本当に来るのだとしたら、今日私たちがたった一つでも学んだことは、永遠の世界に持っていくことができます。今日私たちが誰かに一つでも感謝を伝えるならば、新しい世界でその人と再び出会った時、「その節はどうも」と楽しい会話をすることだってできるのです・・・・・・
No.157【「殉教の覚悟がないのに、洗礼を受けてもいいの?」】
◆教会の青年たちとカレーを作って食べていたら、こんな話になりました。「いざという時、イエス様のために死ぬ覚悟がないのに、洗礼を受けてもいいのだろうか?」ある青年は、「自分が洗礼を受けた時はそこまで考えてなかった」と話して […]
ルカ4:16-30「キリスト」(使徒信条⑦|宣愛師)
・・・・・・もっと正確に言うならば、「キリスト者」になるために唯一必要な条件は、“あなたが受け入れたくない人も受け入れてしまうキリスト”を受け入れること、これだけです。どうしてキリスト教が、「イエス・キリストを信じるだけで救われる」という、あまりにも単純すぎることを教えているのか、お分かりいただけると思います。「われはイエス・キリストを信ず」と告白するだけ。このあまりにも単純なことが、自己中心で排他的な私たちにはあまりにも難しいのです。しかし、このたった一つの信仰だけで、私たちの全ての罪は赦され、神の民の一員として迎え入れていただけるのです・・・・・・
No.156【「わたしの羊を」】
◆“牧師”になった実感がないまま4月を迎えました。“牧師”という日本語は、聖書に一度しか出てきません。「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師として […]
第一ペテロ3:13-16「希望を語るために」(宣愛師)
・・・・・・私たち盛岡みなみ教会はこの4月から、「希望を語るために」というテーマを掲げ、第一ペテロ3章15節を掲げて、新しい年度を始めてまいります。……どうすれば、イエス様の素晴らしさを人々に伝えることができるのでしょうか。本日は、キリスト教を信じない人々の多くが抱いていると思われる三つの問いについて、聖書を通して考えたいと思っています。その三つの問いとは、「キリスト教は倫理的に良いものか?」「キリスト教は合理的に納得できるか?」そして、「キリスト教は人生に希望を与えるか?」という三つの問いです・・・・・・