2025年4月

週報コラム
No.159【教皇フランシスコ】

◆高級車ではなくバスに乗り、宮殿ではなくホテルの一室に住み、薬物依存者や犯罪者の足を洗って口づけし、“異教徒”のためにも異例の洗足式を行い、「私の就任式を観るためにローマに来る飛行機代があるなら貧しい人々に寄付してほしい […]

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聖書の説教
ヨハネ5:41-47「神からの栄誉」(まなか師)

・・・・・・学生時代に、KGKのキャンプの準備をしたことがありました。当時の私はいま以上にもっと未熟で、若さゆえの極端なところもありました。キャンプの最終日に、準備委員を労うサプライズが用意されていて、キャンプ参加者みんなからの寄せ書きをプレゼントしてもらい、「ありがとう」とたくさん声をかけてもらいました。実はそのときの私は「人からの称賛は受けない!」と固く決意していまして、本当は「ありがとう」と言われれば内心うれしいし、頑張ってよかったなと思うけれども、決して喜んではいけないと自分に言い聞かせていました・・・・・・

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週報コラム
No.158【イースターエッグとエッグハント】

◆昨年のイースターに初めて教会に来たKくんは、礼拝後に突然始まった“エッグハント”に参加させられ、「一体これは何の時間なんだろう?」と困惑しつつも、とりあえず周りの人たちの動きに合わせて礼拝堂を歩き回っていたそうです。K […]

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聖書の説教
第一コリント15:50-58「無駄でないと言える人生」(宣愛師)

・・・・・・神の国を待ち望む私たちにとって、「今さら何をやっても無駄だ」ということはあり得ません。今さら何か勉強を始めてみたって、今さら何かを頑張ってみたって、どうせもう間に合わない、もう遅すぎると諦める必要はないのです。「天国には何も持っていけない」というのは嘘です。新しい世界が本当に来るのだとしたら、今日私たちがたった一つでも学んだことは、永遠の世界に持っていくことができます。今日私たちが誰かに一つでも感謝を伝えるならば、新しい世界でその人と再び出会った時、「その節はどうも」と楽しい会話をすることだってできるのです・・・・・・

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週報コラム
No.157【「殉教の覚悟がないのに、洗礼を受けてもいいの?」】

◆教会の青年たちとカレーを作って食べていたら、こんな話になりました。「いざという時、イエス様のために死ぬ覚悟がないのに、洗礼を受けてもいいのだろうか?」ある青年は、「自分が洗礼を受けた時はそこまで考えてなかった」と話して […]

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聖書の説教
ルカ4:16-30「キリスト」(使徒信条⑦|宣愛師)

・・・・・・もっと正確に言うならば、「キリスト者」になるために唯一必要な条件は、“あなたが受け入れたくない人も受け入れてしまうキリスト”を受け入れること、これだけです。どうしてキリスト教が、「イエス・キリストを信じるだけで救われる」という、あまりにも単純すぎることを教えているのか、お分かりいただけると思います。「われはイエス・キリストを信ず」と告白するだけ。このあまりにも単純なことが、自己中心で排他的な私たちにはあまりにも難しいのです。しかし、このたった一つの信仰だけで、私たちの全ての罪は赦され、神の民の一員として迎え入れていただけるのです・・・・・・

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週報コラム
No.156【「わたしの羊を」】

◆“牧師”になった実感がないまま4月を迎えました。“牧師”という日本語は、聖書に一度しか出てきません。「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師として […]

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聖書の説教
第一ペテロ3:13-16「希望を語るために」(宣愛師)

・・・・・・私たち盛岡みなみ教会はこの4月から、「希望を語るために」というテーマを掲げ、第一ペテロ3章15節を掲げて、新しい年度を始めてまいります。……どうすれば、イエス様の素晴らしさを人々に伝えることができるのでしょうか。本日は、キリスト教を信じない人々の多くが抱いていると思われる三つの問いについて、聖書を通して考えたいと思っています。その三つの問いとは、「キリスト教は倫理的に良いものか?」「キリスト教は合理的に納得できるか?」そして、「キリスト教は人生に希望を与えるか?」という三つの問いです・・・・・・

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