No.156【「わたしの羊を」】
◆“牧師”になった実感がないまま4月を迎えました。“牧師”という日本語は、聖書に一度しか出てきません。「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました」(エペソ4:11)。ここで「牧師」と翻訳されているギリシャ語 ποιμένας(ピーメナス)は、直訳すると「羊飼いたち」です。
◆ということは、教会のメンバーは“ノア牧師の羊”なのでしょうか?「あんたの羊になった覚えはない!」と言われるかもしれません。それもそのはず、皆さんは“ノア牧師の羊”ではなく、イエス様の羊です。〈ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」〉(ヨハネ21:16)
◆もちろん僕も“牧師”の端くれとして、教会という“群れ”のために全力で働きたいと思います。しかし、羊たちのために牧師が差し出せる食べ物は、イエス様の御言葉と御身体だけです。僕自身も群れの一匹として、イエス様の隣に憩いたいと思います。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。」(ヨハネ10:14)