使徒2:1-13「いろいろなことばで」(宣愛師)

2025年6月8日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『使徒の働き』2章1-13節



2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。
9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、
10 フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、
11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」
12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。
13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。



「一つの話しことば」:バベルの人々の罪

 先日、Sくんが突然、まなか先生にこんなクイズを出したそうです。「第二次世界大戦中の日本で、カレーライスが何と呼ばれていたか分かりますか?」「わからないなあ」とまなか先生が答えると、Sくんはニヤニヤして嬉しそうに、「正解は“辛味入り汁かけ飯”です」と言ったそうです。

 第二次世界大戦の最中、大日本帝国では、「敵国の言葉を使ってはいけない」という風潮が広がりました。イギリスやアメリカの言葉は“敵性語”だということで、英語や外来語を自主規制する空気が広がったのです。カレーライスは「辛味入り汁かけ飯」もしくは「辛味入り煮込み飯」と呼ばれ、ゲームセンターは「遊技場」、アナウンサーは「放送員」などと呼ばれたそうです。

 その逆にアメリカでも、日本語を話す人間が“敵国のスパイ”として疑われるような風潮が広がりました。日本語が敵性語(enemy language)とされ、それまでは日本語を使っていた日系人たちも英語だけを使うようになり、おにぎりを rice ball と呼んだり、お正月を New Year と呼びました。“自分たちの言葉”以外の言葉を許さないのです。これが、戦争をする国々の姿でした。

 それと同じように、「一つの話しことば」によって閉じこもろうとした人々の物語が、旧約聖書に記録されています。創世記11章1節から9節までをお読みします。


11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
5 そのときは、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
6 は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
8 が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこでが全地の話しことばを混乱させ、そこからが人々を地の全面に散らされたからである。

 このバベルの物語は普通、“なぜ世界には色々な言語があるのか”という問いに答える物語として理解されます。しかし他方で、この物語に登場するバベルの人々の振る舞いは、世界中の色々な民族をすべて「一つの話しことば」によって強制的に支配するという、いわば帝国主義的な振る舞いとして理解することもできます。「一つの話しことば、一つの共通のことば」によって、狭い固まりの中に閉じこもり、高慢になっていく人間たちの姿です。

 神様がお望みになった世界は、一つの言語や民族や文化によって支配されるような、画一的な世界ではありませんでした。神様がアダムとエバにお命じになったのは、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記1:28)というご命令でした。創世記の10章には、神様のご命令通りに、多くの民族が世界中に広がっていく様子が記録されています。しかしバベルの人々は、そのように広がった民族や文化を、「一つの話しことば」によって支配し、一つの民族の中に閉じ込めようとします。これがバベルの人々の罪であり、やがてこの地に再び現れる、大バビロン帝国の罪でした。


「いろいろなことばで」:ガリラヤから世界へ

 今日私たちがお祝いしている“ペンテコステ”とは、このバベルの罪に立ち向かう神の闘いだと言えます。「一つの話しことば」によって支配された白黒の世界を、「いろいろなことば」が行き交うカラフルで自由な世界へと解き放つのです。使徒の働き2章1節から4節をお読みします。


2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 「五旬節」というのは、ペンテコステのことです。イエス様が天に昇られ、見えなくなってしまった後、弟子たちは「同じ場所に集まって」いました。自分たちはこれからどうすればいいのだろうか。そんな不安もあったかもしれません。外の世界は、イエス様を十字架につけて殺したような世界です。イエス様の弟子たちにとっては、喜んで関わりたいような世界ではありません。

 「すると突然」彼らの上に聖霊が降ります。「同じ場所に集まって」閉じこもっていた弟子たちを、聖霊様が広い世界に引っ張り出していくのです。弟子たちが外に出て行きたくなったわけではありません。「御霊が語らせる」ので、弟子たちはある意味では仕方なく、もしかしたら半分嫌々ながら、外の世界へと連れ出されるのです。そして、騒ぎが起こり始めます。5節から8節まで。


5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。

 聖霊様の力に満たされた弟子たちは、「天下のあらゆる国々」の人々の前に立ち、福音を分かち合います。人々は、「私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは」と驚きます。「あいつらは酒に酔っているのだ」と嘲笑う人々もいましたが、弟子たちのことばに耳を傾けた人々もいました。2章41節を見てみると、「その日、三千人ほどが仲間に加えられた」と記録されています。ガリラヤ出身の田舎者たちが集まっていた小さな教会は、ペンテコステに起こったこの不思議な出来事をきっかけとして、世界中の民族を巻き込む神の家族となっていくのです。


「聖霊は教会を不快な交わりにする」

 こうして教会は、様々な文化的背景を持つ人々の集まりとなっていきます。すると、当然のことですが、様々な文化的衝突が起こり始めます。使徒の働き6章1節と15章5節6節をお読みします。


6:1 そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。

15:5 ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。

 6章に記されているのは、「ギリシア語を使うユダヤ人たち」と「ヘブル語を使うユダヤ人たち」の間に生じた格差の問題です。15章に記されているのも、ユダヤ人と異邦人との間に生じた差別の問題です。どちらの問題も、教会が「一つの話しことば」だった頃には起こらなかった問題でした。文化や背景が異なる人々が、一つの家族になろうとしたからこそ生じた問題でした。

 これらの問題に直面した時、教会はどうしたのでしょうか。「やっぱりガリラヤ出身のユダヤ人だけでやっていこうよ」「色々な文化を持つ人たちが集まると面倒だから、それぞれが別々の教会ってことにしようよ」と諦めたのでしょうか。彼らが選んだのは、「弟子たち全員を呼び集めて」話し合う、ということでした。「この問題について協議するために集ま」る、ということでした。どうすれば、様々な背景を持つ人々が互いの違いを乗り越えて、真実に愛し合える神の家族がつくれるのだろうかと悩み、議論し、ともに祈ったのです。だれか一人の好みを押し付けるのではなく、互いに譲り合い、尊重し合い、一致を求めて話し合ったのです。「いろいろなことば」を「一つの話しことば」に押し込めるような独善的なやり方ではなく、互いの「ことば」を尊重し合いながら、耳を傾け合いながら、ともに歩んでいける平和の道を探し求めたのです。

 ある人が、「聖霊は教会の交わりを不快にする」というタイトルで説教をしたそうです。私はその説教自体は聞けていないのですが、タイトルを聞いただけでも非常に考えさせられました。「一つの話しことばで」やっていけば、似た者同士だけで集まっていれば、教会の中に問題は生じにくいでしょう。似た者同士で集まり、自分たちにとって快適な、自分たち好みの教会を作っていけば良いからです。似たような肌の色で、似たような価値観で、似たような好き嫌いで集まっていれば良いからです。しかし、もし教会が聖霊様に導かれるなら、教会は「天下のあらゆる国々から」様々な人々が集まる、カラフルで、豊かで、厄介な共同体になっていきます。そこには問題が生じます。誤解が生じます。お互いに様々なストレスを感じるようになります。しかし、そのようにして教会が不快で厄介な共同体となることは、聖霊様に導かれていることの証拠なのです。

 かつての欧米のキリスト教会は、自分たちの「ことば」を伝えることに必死になるあまり、相手の「ことば」に耳を傾けることを疎かにしてしまい、結果として、一方的で帝国主義的な宣教活動を行なってしまいました。相手の文化を理解せず、自分たちの文化を押し付けるような宣教をしてしまいました。しかし宣教師たちの中には、単に日本語を学ぶというだけでなく、日本人が持っている「ことば」に丁寧に耳を傾け、心に届くように福音を伝えた人々もいました。私たちは、自分とは異なる「ことば」を聞けるでしょうか。自分とは異なる文化や価値観を簡単に排除してしまうことなく、神様がお造りになった豊かさとして受け止められるでしょうか。

 私たちには、外国に移住して福音を伝える、なんてことはできないかもしれません。しかし、私たちの身近なところにはすでに、「天下のあらゆる国々から」集まった人たちがいます。2020年時点の統計では、盛岡市に住む外国人は約1300人。2021年の統計では、出身国を多い順で並べると、中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ミャンマー、ネパール、モンゴル、バングラディシュ、アメリカ、インドネシア、そしてその他の国々。神学校の授業で聞いた言葉を思い出しました。「現代は、日本にいながら世界宣教ができる時代です。」

 私たち盛岡みなみ教会も、この盛岡の地で、世界宣教の働きに招かれています。すでに結構ユニークな人が集まっている教会なのに、さらに外国の文化も入ってきて、これ以上さらにユニークになったらどうしようと、恐れる必要はありません。そのような教会こそ、神様は祝福してくださるのです。聖霊様におゆだねして、今の私たちにできることから始めていきましょう。まずは日本人同士で、自分の「ことば」とは異なる「ことば」に耳を傾けることから練習していきましょう。そうすればきっと神様は、あのペンテコステの日の奇跡を、「いろいろなことばで」世界が一つに結びつけられたあの奇跡を、私たちの上にも豊かにお与えくださるはずです。お祈りをします。


祈り

 私たちの父なる神さま。自分たちの慣れ親しんだ文化や価値観に閉じこもることなく、聖霊様によって外の世界へと連れ出され、豊かな教会を形作っていけますように。私たちをバベルの罪から解き放ち、言語の壁や国境の壁だけではなく、差別や偏見やプライドの壁も、軽やかに飛び越えさせてくださいますように。どうか盛岡みなみ教会を、「一つの話しことば」によって支配される窮屈な交わりではなく、衝突やすれ違いによってすぐに壊れてしまうような儚い交わりでもなく、互いへの尊敬と、知恵深い話し合いによって、確かな平和を築き上げる神の家族として成長させてくださいますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。