マタイ27:62-66「三日目に」(使徒信条⑭|宣愛師)

2025年7月6日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マタイの福音書』27章62-66節


27:62 明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、
63 こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。
64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものになります。」
65 ピラトは彼らに言った。「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」
66 そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。



「人を惑わすあの男」

 「わたしは三日後によみがえる」と、イエス・キリストは宣言していました。「三日後」という表現は、今の私たちが言うところの「三日目」と同じ意味です。イエス・キリストは「三日目に」よみがえった。「三日目に」復活された。不思議なことに、聖書はこの「三日目」という表現をくり返します。使徒信条というキリスト教の信仰告白でも、「三日目に死人のうちよりよみがえり」と告白します。なぜでしょうか。どうして「三日目に」ということばが重要なのでしょうか。

 それは第一に、イエス・キリストの復活が、歴史的な事実であったことを示すためです。イエス様の復活は、おとぎ話の出来事でもなければ、弟子たちの心の中に生じた幻想でもない。私たちがいま生きているこの世界、この歴史、この時間の中で、確かに生じた事実であったということを示すために、キリスト教会は「三日目に」ということばを大切にし続けてきたのです。

 イエス・キリストは本当によみがえったのか。そんな奇跡があり得るのだろうか。歴史的に、合理的に、そんなことが説明できるのだろうか。この点については、これまでの説教で何度もお話ししてきましたし、今後も折に触れてお話ししたいと思っています。今日はあまり詳しいことはお話ししません。今日私たちが注目したいのはむしろ、イエス・キリストの復活はなぜ「三日目」だったのか、ということです。たまたま「三日目」だった、ということではないのです。

 マタイの福音書27章の62節と63節を、改めてお読みします。


27:62 明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、
63 こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。

 イエス様を十字架につけて殺した権力者たちが、再び集まって密談をしています。すでに「あの男」は殺した。墓に葬られたことも確認した。彼らの勝利は決まっていたはずでした。しかし彼らは、まだ終わっていないのかもしれない、と一抹の不安を覚えていました。

 「人を惑わすあの男」―――「人を騙す者」「人を欺く者」と訳すこともできます。「人を惑わすあの男」は、たとえばこんな教えによって、民衆の心を捉えていました。マタイの5章3節から。


5:3 心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだからです。
4 悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるからです。
……10 義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだからです。

 イエス様が人々に語ったのは、「天の御国」の希望でした。イエス様が語った「天の御国」というのは、死んだ後にたましいがふわふわと向かう、どこか遠い場所にある天国のことではありませんでした。遠くにある天国の話をしただけなら、今の世界とはあまり関係がないのですから、権力者たちに目をつけられて殺されるようなことはなかったでしょう。イエス様がお語りになった「天の御国」というのは、私たちの生きるこの世界が、神様の愛と正義によって支配される、ということでした。権力者たちが支配し、貧しい者たちが苦しめられているこの世界が、神様の愛と正義のご支配によって、正しく美しい世界にもう一度生まれ変わる、ということでした。

 だから権力者たちは、イエス様を殺そうと企んだのです。すでにこの世界で権力や地位を持っている彼らにとっては、貧しい者への救いも、悲しむ者への慰めも、必要なかったからです。むしろ邪魔でしかないのです。今の世界が、今の世界のままで、何も変わらないこと。これこそ彼らが願っていたこと、そして、彼らを背後で操っている闇の力、罪の力が願っていたことでした。

 私たちは、イエス様のみことばを聞いて、その教えによって、生きる力をいただきます。貧しさに悩む時、悲しみに暮れる時、迫害を耐え忍ぶ時、イエス様のみことばに慰めを得ます。しかし、ふと不安になることもある。私は惑わされているだけなのだろうか。この慰めは、気休めに過ぎないのだろうか。天の御国がこの世界に来るなんて、やっぱり嘘だったのだろうか。惑わしのことばに過ぎなかったのだろうか。それなら、そんなものを信じることは止めにして、自分自身の力で、もっと現実的な道を切り開いていくべきだろうか。


「三日目まで墓の番を」

 権力者たちは、自分たちにとって都合の悪い、あのイエスという男の教えが、二度と民衆に広まることがないようにと、あの手この手を使い始めます。64節から66節。


64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものになります。」
65 ピラトは彼らに言った。「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」
66 そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。

 彼らは、「三日目まで墓の番をするように」と頼みました。「わたしは三日後(三日目)によみがえる」と、イエス様が宣言していたからです。弟子たちが遺体を盗んで嘘をつき始めるかもしれないからです。「三日目まで」墓を守り切ることができれば、彼らの勝利だと言うこともできます。古い世界の勝利、新しい世界の敗北です。「三日目」が勝負の分かれ目でした。

 また、当時のユダヤ人の間では、人が死んだ後の三日間、生き返ろうとするたましいが肉体の近くをさまよう、という考え方がありました。三日目までなら死人が生き返る可能性がある。祭司長やパリサイ人たちがこのような考え方を信じていたかどうかは分かりませんが、少なくとも一部のユダヤ人たちにとっては、「三日目」というのは生死を分かつ決定的な日でした。

 その他にも、ユダヤ人たちにとって「三日目」というのは、神様が特別なことをなさる特別な日でした。創世記22章には、神様がアブラハムにイサクを献げさせたあの特別な日は、アブラハムが旅を始めてから「三日目」のことだったと記されています。また出エジプト記19章には、イスラエルの民の目の前に神ご自身が姿をお見せになった日も「三日目」であったと記されています。「三日目」というのは、神様が特別なことをなさる特別な日だったのです。

 そのような「三日目」に、イエス様を殺した権力者たちが願っていたことは、何も起こらないことでした。そのために彼らは、「番兵たちとともに石に封印をし」ました。イエス様の墓の入り口を塞いでいた石に「封印」をしたのです。石の周りに縄を結びつけたり、溶かした蝋で石の周りを固めたりして、ただでさえ大きくて動かせない石を、さらに動かしにくくしたのです。

 彼らも必死です。自分たちが支配する世界が壊されないようにと必死なのです。神が特別な何かをなさることがないように、これ以上自分たちの世界が乱されることがないようにと必死なのです。貧しい者たちは貧しいままで、悲しむ者たちは悲しむままで、迫害されている者たちは迫害されているままで、自分たちにとって都合の良い世界を保とうとして必死なのです。


何もできないからこそ

 「弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。」実際には、イエス様の弟子たちには、イエス様の遺体を盗み出そうなんて気力は残っていませんでした。イエス様が殺されてしまって、すべての希望を失い、今度は自分たちも殺されるのではないかと怯えていた弟子たちは、外の世界を恐れて、家の中に閉じこもっていました。番兵たちが墓を守るまでもなく、彼らはすでに希望を失っていたのです。「わたしは三日目によみがえる」というイエス様の約束を、弟子たちも聞いてはいたはずです。しかし彼らは、何もかも諦めていました。

 もちろん、絶望の中にあった弟子たちが、イエス様の遺体を盗み出して、「墓の中は空っぽだった!イエス様は本当によみがえったのだ!」と嘘を付く、自作自演をするという可能性もあったかもしれません。そうやって、自分たちの悲しみを和らげようとすることもできたかもしれません。しかし、彼らがそれを試みたとしても、上手くいかなかったでしょう。祭司長たちは、そんなに詰めの甘い人間たちではなかったからです。

 祭司長たちが墓の入り口を塞いだことによって、弟子たちにできることは何一つとして無くなってしまいました。でも、それで良かったのかもしれません。遺体を盗み出してどうこうしようということもできない。もはやじたばたしても無駄。自分たちは無力でしかない。そうやって諦めることは、弟子たちが「三日目」を待ち望むために、最もふさわしい状態だったとも言えます。

 私たちはどうでしょうか。悲しみの中で、絶望の中で、「三日目」の約束を静かに待ち望むことができるでしょうか。「わたしは三日目によみがえる」「天の御国は必ず来る」「悲しむ者は慰められる」というイエス様の約束を信じて待つことができるでしょうか。それとも私たちは、不安のあまりに、自分の力で墓をこじ開けようとしてしまうでしょうか。イエス様の約束を信じることができず、自分の力で希望を見出そうとして、自分の力で困難を乗り越えていこうとして、無理をして、空回りをして、さらなる悲惨の中に陥っていくことがないでしょうか。

 私たちがなすべきことは、自分の力で墓をこじ開けることでしょうか。私たちは、自分たちが信じることのできる希望を、自分たちの手で作り出すべきなのでしょうか。そうではないはずです。私たちがすべきことは、墓石を外側からこじ開けることではなく、内側からこぼれ出る光を待つことです。私たちには何もできない、自分の力では前に進むことができないと悟ったその時にこそ、私たちは本当の救いに出会うことができるのではないでしょうか。

 星野富弘という詩人がおられました。元々は体育教師でしたが、跳び箱の事故によって頸髄を損傷し、首から下が動かなくなり、何もできない身体になってしまいます。この頃を振り返って、富弘さんはこのように語りました。「舌を噛み切ったら死ぬかもしれないと考えたりした。食事をしないで餓死しようともした。が、はらがへって死にそうだった。死にそうになると生きたいと思った。母に首をしめてもらおうと思ったが、母を殺人犯にさせるわけにはいかなかった。」

 絶望の中で、富弘さんは友人から聖書を手渡されます。最初は拒絶したと言います。「あいつは とうとうキリスト教の神にまですがりついたのか」と思われることが怖かったのだそうです。しかし、喉の気管の切開をして、ついに人工呼吸器に繋がれた時に、何もできない自分こそが本当の自分である、ということに気づいたのだそうです。そして、「生きているのではなく、生かされているのです」という三浦綾子さんのことばに導かれて、イエス様を信じる決心をし、事故から4年半が経った1974年のクリスマスに、信仰告白をして洗礼を受けた、そういう人です。

 首から下が動かない富弘さんは、口に筆を加えて文字を書き、絵を描き、昨年の4月に天に召されるまで、たくさんの素晴らしい作品を残されました。私が好きな作品の一つは、「菜の花」という題のものです。


私の首のように
茎が簡単に折れてしまった
しかし菜の花は
そこから芽を出して
花を咲かせた
私もこの花と
同じ水を飲んでいる
同じ光を受けている
強い茎になろう

 茎がぽっきりと折れてしまったのに、そこから美しい花が咲く。富弘さんの詩を読んでいると、“一日目”も“二日目”も乗り越えて、イエス様とともに「三日目」を生きている人のことばだなあと思うのです。私たちも、富弘さんと同じ希望を抱いて歩むことができます。神様から水と光をいただくことができます。自分の力で道を切り開けなくてもいいのです。墓は内側から開くのです。私たちがイエス様を救い出すのではなく、イエス様が私たちを救い出してくださいます。

 私たちの人生には、苦しいことしか起こらないように見える“一日目”も、何も特別なことが起こらないように思える“二日目”もあるでしょう。しかし、神様が特別なことをなさる「三日目」を信じて、確かな希望を持って歩んでいけるのです。焦る必要も、余計な不安に駆られる必要もありません。「三日目」は必ず来ます。何もできない私たちにこそ、ぽっきりと折れてしまった人にこそ、神様は尊く美しい花を咲かせてくださるのです。お祈りをいたしましょう。


祈り

 私たちの父なる神様。苦しみや悲しみに直面する時、越えられない壁にぶつかった時、自分の力でなんとかしようとして、上手くいかず、空回りして、疲れ、何もかも嫌になってしまう、そんな日々を私たちは知っています。兵士たちを打ち負かす力はありません。封印された墓石を動かせる力もありません。しかし、イエス様の約束を知っています。「三日目」を信じて、耐え忍ぶ者となることができますように。闇雲に焦らず、じたばたと動かず、どっしりと構えて、主の救いを待ち望む者となることができますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。