No.183【S君の転入会式:「教会員」 とは?】

◆S君の転入会式です。高校野球のデータブックと、アングラ系のサブカルコンテンツと、常用外の難読熟語をこよなく愛する、身長190cmの大男(“ゴリヤテ”と呼ぶと喜びます)で、これまでも盛岡みなみ教会の仲間として歩んできたS君が今日、正式に教会員となります。

◆わざわざ「教会員」にならなくても、神の家族として歩めるはずです。しかし、それでも私たちが「転入会式」を行い、新しい仲間を「教会員」として迎えるのはなぜでしょうか? それは、“病める時も貧しき時も”愛し合うことを約束する人々が、「結婚式」という儀式を行い、「入籍」をすることと似ています。聖書的な愛とは、“感情”を越えた“契約”なのです。

◆諮問の最後に、「S君から一言ありますか?」と尋ねたら、「僕のお喋りが暴走している時は皆で止めてください」とのことでした。互いの弱さを補い合い、互いの存在を喜び合う神の家族の歩みが、今日から新たに始まります。〈一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。〉(第一コリント12章26-27節)