Ⅰペテロ3:7「弱さを理解する人の祈り」(「弱さ」シリーズ⑥|宣愛師)
2026年6月7日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『ペテロの手紙 第一』3章7節
7 同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。
「自分より弱い器であることを理解して」
今日の聖書箇所は「夫たち」に向けられた言葉です。しかし、「夫たち」以外の人々も聞くべき、大切なことが記されています。それは、神さまが聞いてくださる祈りとは何か、そして、神さまが聞いてくださらない祈りとは何か、ということです。
ペテロはまず、「妻が自分より弱い器であることを理解して」と命じます。「弱い器」というのは、男性に比べて女性が愚かだとか、能力が低いとか、人間として価値がないとか、そういう意味ではありません。むしろ、男性よりも女性のほうが優れている部分はたくさんあるわけです。
何週間か前の説教でキリスト教ジョークをいくつかご紹介しましたが、今日も有名なものを一つ。天国に一人の門番がいた。門番は、「妻の尻に敷かれた人」と「妻の尻に敷かれなかった人」という二つの門を用意した。すると、「妻の尻に敷かれた人」の門の前には長蛇の列ができ、もう一方の門には誰も並ばなかった。ところがある時、一人の男性が「妻の尻に敷かれなかった人」の門に向かって歩いてきた。門番は驚いて、「こちらの門に来るのはあなたが初めてですよ」と声をかけた。するとその男は言った。「こっちへ並べと、妻に言われたもので……。」
こんな風に、奥さんのほうが強いという夫婦関係もよくあるわけですが、それでもやはり一般的には、女性よりも男性のほうが力を持ちやすいものです。ペテロが言う「弱い器」とは第一に、男性よりも女性の方が繊細な身体を持っている、ということです。どちらかと言えば女性の方が筋肉が細い。一ヶ月に一度の生理で、身体や心が弱ることもある。さらには、男性に比べて社会的に差別されやすい。現代でもそうですが、男性に比べて女性は就職などで不利になる場合も多く、一人で十分な生活費を稼ぐということも難しい場合があります。
高級な器のほうが、壊れやすく繊細だったりします。壊れないだけならプラスチックのお皿でいいわけです。価値が高い、美しく繊細な器だからこそ、大切に扱われなければならない。夫たち、男性たちは、女性たちが高価で尊い器であり、それゆえに壊れやすく繊細であるということを、どれだけ「理解して」いるでしょうか。「うちでは妻のほうが怒ってばかりです」という家庭もありますが、奥さんが怒ってばかりなのは、強いからではなく、むしろ弱いからかもしれません。
ペテロは、「理解しなさい」だけではなく、「理解して妻とともに暮らしなさい」と命じています。頭で理解するだけなら簡単かもしれませんが、大切なのは、理解した上で、「ともに暮らす」ということです。「夫婦なんだからともに暮らすのは当たり前じゃないか」と思うかもしれません。しかし、同じ家に住んでいるとしても、「ともに暮らし」ているとは限りません。私たち夫は、妻とともに暮らしているでしょうか。それとも、同じ家に住んでいるだけでしょうか。
「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として」
さらにペテロは、「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい」とも命じています。「いのちの恵み」という言葉には、神さまから子どもを授かることや、夫婦がともに助け合って生きていくことも含まれるかもしれません。しかしそれ以上に大切なのは、神さまから「永遠のいのち」を受け継ぐということです。
「ともに受け継ぐ」という言葉は、「共同相続をする」という意味の言葉です。当時の世界では、財産を相続できる男性の方が価値が上だ、と思われていました。女性が相続をすることはほとんどありませんでした。女性は財産を相続できないので、生まれた赤ちゃんが女の子だったら殺される、ということもありました。相続ができるかどうか、それが人間としての価値に直結していたわけです。しかし神さまが下さる「永遠のいのち」という財産は、男性にも女性にも平等に与えられ、男性も女性も「ともに受け継ぐ」のです。神さまにとって、すべての人間の価値は等しく、皆が尊い存在だからです。
「尊敬する」と聞くと、「君ってこんなこともできてすごい」と、相手の能力を褒める、みたいなことをイメージするかもしれません。しかしこのペテロのことばは、ギリシャ語から直訳するなら、「尊重を示しなさい」という言葉です。「尊敬」と「尊重」は似ていますが、少し違います。「うちのママって実はすごい」と「尊敬」することも大切ですが、もっと大切なのは、能力が高いかどうかにかかわらず、尊重を示すこと、愛すること、「いつもありがとう」と伝えることです。
私が育った家は、父と息子たちを併せて男性が五人、女性は母一人だけ、という家でした。しかも母はいわゆる天然キャラだったので、母が何かおかしなことを言うと、男たち五人総出でツッコミを入れるような、賑やかな家でした。しかし私は、大学時代に母に手紙を書き、「僕たちはもっと母さんを尊敬するべきだった」と謝罪しました。すると母は、「尊敬されることより、愛されていればそれでいいのよ」と返事をくれました。母もまた、能力を認められ尊敬されることよりも、存在そのものが尊重されること、大切にされること、愛されることを求めていました。
神さまに聞かれる祈り、聞かれない祈り
夫たちに対するペテロの最後の言葉は、「そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません」です。妻を尊重しない夫たちの祈りは、妨げられるのです。妻を大切にしない夫たちの祈りなんて、神さまは聞きたくないからです。夫たちは、妻が「自分の妻」である前に、「神さまの娘」であることを忘れてはいけません。12節にはこうあります。「主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる。しかし主の顔は、悪をなす者どもに敵対する。」
先日、妻が困った顔でスマホの画面を見せてきて、「この人にどう返事したらいいかな?」と相談してきました。ただ、その時の私は体調があまり良くなく、バイブルスタディの準備もしなければならなかったので、「自分で考えたらいいんじゃない?」と冷たく対応してしまいました。別の部屋に移動した私は、「神さま、このあとのバイブルスタディでどう語るべきか教えてください」と祈りました。そこではっと気付かされたのは、「妻の願いを聞こうとしない自分の祈りを、神さまが聞いてくださるはずがない」ということでした。
もし、神さまが私たちの祈りを聞いてくださらないとすれば、それは、私たちが人の話を聞いていないからかもしれません。人から助けを求められても冷たく対応するなら、神さまも私たちの祈りに冷たく対応されます。自分よりも弱い器である繊細な人たちの声を聞こうとしないなら、「神さま、弱い私を助けてください」と祈っても、聞いていただけません。
神さまが聞いてくださる祈りとは、人の弱さを理解する者の祈りです。神さまに祈りを聞いていただきたいなら、私たちがまずすべきことは、「自分よりも弱い器」を大切にすることです。妻の声に、子どもたちの声に、年老いた親の声に耳を傾ける。職場や学校で、弱い立場に置かれている人たちの声を聞こうと努める。自分のことだけでも精一杯な、弱い私たちです。しかしそのようにして私たちが、「自分より弱い器」を大切にすることを求めていくなら、私たちの祈りは妨げられません。必ず聞いていただけます。私たち自身の弱さをも、十分に知ってくださる神さまは、私たちの祈りを喜んで聞いてくださるのです。しばらく黙想と祈りの時を持ちましょう。
黙想・祈り
自分が弱った時には「神さま、助けてください」と祈るのに、助けを求める誰かの叫びには関心を示さない、そんな冷たい心がなかったでしょうか。「自分よりも弱い器」を理解するために、尊重するために、今日から私たちにできることは何でしょうか。聖霊さまの助けを求めましょう。
父なる神さま。私たちは、あなたに祈りを聞いていただけるような生き方がしたいです。自分自身のことで精一杯になりやすく、疲れやすい、弱い私たちですけれども、イエスさまを見上げる信仰によって、聖霊様の助けによって、「自分よりも弱い器」に目を留め、耳を傾け、その痛みを知ってともに心を痛め、尊重し、愛することができますように。今週一週間、まずは小さな一歩から、愛のわざを行わせてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

