エペソ1:15-19「聖徒たちが受け継ぐ栄光の望み」(宣愛師)
2026年6月14日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『エペソ人への手紙』1章15-19節
15 こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので、
16 祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています。
17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
コイノニア農場:「神の国の実験区域」
1942年、アメリカ合衆国のジョージア州で、「コイノニア農場(Koinonia Farm)」という共同体が誕生しました。二組の牧師夫妻によって始められたこの農場は、白人と黒人が一緒に生活をし、一緒に働き、差別なく同じ賃金が支払われるという、当時としては驚くべき共同体でした。
コイノニア農場は様々な迫害を受けたそうです。近隣住民から、「黒人と一緒に食事をすることは地元の慣習に反する」と脅されたこともありました。また、クー・クラックス・クランという白人至上主義団体によって襲撃を受け、コミュニティが崩壊寸前になったこともありました。
それでも彼らは、「神の国の実験区域」という目標を掲げて、この農場を守り続けました。「神の国の実験区域」とは、「神の国とはこのようなものだ」ということを、小さな場所から実験的に始めてみる、ということです。神の国の実験室、神の国のミニチュアモデルだとも言えます。
創設者の一人であり、聖書学者でもあったジョーダン牧師はこう語ったそうです。「たとえ私たちの周りにいる人々が、憎しみ、暴力、戦争、強欲、偏見という道を選ぶとしても、キリストのからだである私たちはこれらの毒を捨て去り、愛を隅々まで浸透させ、からだ全体の組織と細胞をきよめなければならない。また愛というものが、いつも目に見えて成功を収めたり、快いものとは限らない時にも、私たちは簡単に失望してはならない。」
二千年前の世界にも、人種差別の問題がありました。ユダヤ人とギリシア人が互いに憎み合うという悲しい現実がありました。しかし、その壁を越えたのがキリスト教会でした。15節でパウロは語ります。「主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒たちに対する愛」―――ユダヤ人だけを愛するのでもなく、ギリシア人だけを愛するのでもなく、「すべての聖徒たちに対する愛」―――この愛が実現していることを聞いて、パウロは感謝せずにはいられなかったのです。
「心の目がはっきり見えるように」
コイノニア農場と同じように、すべての教会も「神の国の実験区域」です。神の国のミニチュアモデルです。私たち教会の姿が、神の国の姿を証しするのです。教会に託された務めはそれほどまでに壮大で、栄光に富んだものなのだということを、私たちはどこまで理解しているでしょうか。
パウロは祈ります。17節。「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」―――「啓示」とは、「隠されていたものが開かれる」という意味です。「知恵と啓示の御霊」を受けると、「心の目」が開かれます。心の目が開かれると、神さまのご計画の大きさが分かるようになります。18節。「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか……」。
心の目がぼやけていると、目の前の小さな望みしか見えません。「平穏な人生が送れますように」とか、「周りの人から評価されますように」とか、「教会の人数が増えますように」とか……。しかし、私たちに与えられたのは、もっともっと偉大な望みです。ユダヤ人とギリシア人が、黒人と白人が、日本人とフィリピン人が、キリストにあって一つになる。人種の壁を越えて、すべての聖徒たちがともに御国を受け継ぐ。これこそが教会の望みであり、栄光であり、使命です。もしも私たちが、“一部の聖徒に対する愛”しか持っていないとしたら、もしくは、“一部の聖徒だけが集える教会”を作ってしまっているとしたら、神の国の姿を指し示すことはできません。
アメリカの黒人差別と闘ったキング牧師は、このように語ったそうです。「日曜日の朝11時が、キリスト教国アメリカでもっとも分断された時間とはいわないまでも、甚しく分断された時間であることこそ、わが国の悲劇の一つ、恥ずべき悲劇の一つである。」日曜日以外には、同じ社会で混ざりあって生きているはずの白人と黒人が、日曜日の朝には見事に別々の教会に分かれてしまう。白人の教会には白人だけが、黒人の教会には黒人だけが集う。
私たちの教会はどうでしょうか。日本語を話す日本人だけが参加できるような教会。じっと座っていることが得意な人だけが参加できるような教会。日曜日に仕事を休める人だけが参加できるような教会。気付かぬうちに、“一部の聖徒たち”のための教会になっていないでしょうか。私たちの「心の目」は開かれているでしょうか。「聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」が見えているでしょうか。私たちの中には「すべての聖徒に対する愛」があるでしょうか。それとも、“一部の聖徒に対する愛”とか、“愛したい人たちだけを愛する愛”で満足していないでしょうか。
「神の大能の力によって」
「すべての聖徒に対する愛」を抱き、あらゆる国の人々が集う教会を作る。私たちのような小さな教会に、そんな大層な務めが果たせるだろうかと、正直戸惑ってしまいます。しかし、私たちの力によって、ではありません。19節。「また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」
「すぐれた力」と訳されていることばを直訳すると、「凌駕する力」です。何を凌駕する力なのか。何を超えていく力なのか。それは、私たち人間の能力を超えていく力です。私たち人間の常識を超えていく力です。知恵と啓示の御霊が与えられ、心の目が開かれると、私たちは、私たちの力だけで戦う必要がないことを知ります。それゆえに私たちは、教会に与えられた務めがどれだけ大きなものだとしても、恐れおののいたり、諦めたりする必要はありません。
盛岡みなみ教会の今年のテーマは「弱さがつなぐキリストのからだ」です。礼拝中にじっと座っていることが苦手な人たちでも喜んで参加できる礼拝を目指して、プログラムを見直してきました。また、外国の方々が少しでも参加しやすいようにと、スライドの日本語の下に英語を入れたりもしています。説教原稿をAIで英語に翻訳して配ったりもし始めました。「すべての聖徒に対する愛」を目指して、他にも工夫できることがあるだろうと思います。英会話の勉強を始めてみるのも良いでしょう。外国の文化について勉強してみるのも良いかもしれません。私たちは、教会の人数が増えることよりも、教会が神の国に似ていくことを目指したいと思います。あらゆる壁を乗り越える神の国の姿を指し示す教会を目指して、まずは小さな工夫から、小さな配慮から始めていきましょう。大きな神さまを見上げて、小さな一歩から始めていきましょう。そのために必要な知恵も、力も、すべては神さまが与えてくださいます。しばらく黙想と祈りの時を持ちます。
黙想・祈り
私たちは、目の前の小さな望みや小さな栄光ばかりに気を取られて、教会に託された素晴らしい栄光の望みを見失ってはいなかったでしょうか。全世界を一つにするという、神さまのご計画の大きさを見失ってはいなかったでしょうか。分断だらけのこの世界にあって、私たち教会が少しでも神の国の姿に近づくことができるように、神さまの助けと導きを祈り求めていきましょう。
私たちの父なる神さま。どうか私たちの心の目を開いてください。知恵と啓示の御霊を豊かに注いでください。教会に託された栄光ある務めを悟らせてください。小さな教会です。ちっぽけな私たちです。「すべての聖徒に対する愛」が持てない、罪深い私たちです。神さまの大きな力を、神さまの大きな愛をお与えください。自分自身の小さな望みではなく、目の前の小さな栄光ではなく、神さまが与えてくださる大きな望みと栄光を見上げて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

