エペソ2:1-5「空中の権威を持つ支配者」(宣愛師)
2026年7月26日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『エペソ人への手紙』2章1-5節
1 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、
2 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
3 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
「空気」 の支配:目に見えない霊の力
山本七平という人が書いた『「空気」の研究』という有名な本があります。この本が論じているのは、日本人を支配しているのは、天皇でも法律でもなく「空気」だ、ということです。この国では、その場の「空気」に従うことが何よりも優先される。だから、「空気が読めない」人間は排除される。目には見えないし、言葉で説明できないけれども、確かに私たちを支配する「空気」。
なぜ日本人は「空気」に支配されるのでしょうか。山本七平によれば、日本には“絶対的な神のことば”が存在しないからです。天皇も、天照大御神も、この国では唯一絶対の神とはなり得ない。あらゆるものが、その場その場の都合に合わせて「神」になるのです。だから、その場の「空気」によって、その場の「雰囲気」によって、善悪の基準さえも変わってしまうのです。
私たちが「空気」と呼ぶ、この得体の知れない“何か”について、パウロは次のように語ります。1節と2節。「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。」
「あなたがた」とは、ユダヤ人ではない異邦人たちのことです。エペソの人々もまた、唯一絶対の神を持たず、あらゆるところに神々が存在すると信じ、見えない力に怯えて暮らしていました。彼らもまた、見えない「空気」の支配に怯え、「この世の流れに」引きずられて生きていました。
私たちはどうでしょうか。学校でいじめがある。職場で不正が行われている。そのとき、「それは間違っている」と声を上げられるでしょうか。声を上げられないのは、私たちが臆病だからというだけでしょうか。聖書はそれを、「空中の権威を持つ支配者」の仕業だと語ります。この見えない力に縛られている人間の状態を、パウロは「罪の中に死んでいた者」(1節)と呼ぶのです。
「私たちもみな」:神のことばを知る民の罪
では、唯一絶対の神を信じ、聖書のことばという唯一の基準を持ってさえいれば、私たちはこの支配から逃れることができるのでしょうか。パウロは3節で、次のように正直な告白をしています。「私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」
ここでパウロが言う「私たち」とは、神のことばを託されたユダヤ民族のことです。唯一絶対の神を知っているはずのユダヤ人です。しかし、そんな「私たちもみな」異邦人と同じだ、とパウロは語ります。たしかにユダヤ人は、偶像の神々を拝まないかもしれません。世間の「空気」には流されないかもしれません。しかし、彼らもまた、別の形での罪の支配に囚われていました。
聖書が語る「肉の欲」とは、食欲や性欲だけにとどまりません。食欲や性欲も時に深刻な罪につながりますが、それ以上に最も根深い肉の欲とは、自己中心という欲望です。自分自身を神の座に置き、他者を見下すことによって自分の存在価値を保とうとする。「空中の権威を持つ支配者」は、ユダヤ人には「空気」の支配が通用しないと分かると、別の手段を使い始めるのです。
私たちクリスチャンも、「自分は聖書を知っている」と考えて、そうでない人々を見下す危険があるかもしれません。「あの人は聖書に従っていない」とさばく心や、「自分はあの人とは違ってこの世に流されない」と考える高慢さがあるかもしれない。神のことばに従っているように見えて、結局のところ私たちも、優越感という「自分の肉の欲」を満たしているだけかもしれません。
「私たちもみな」というパウロの言葉を大切にしたいと思います。誰かの罪を指摘して優越感に浸るのではない。「あなたがた」の罪を指摘した後、すぐに「私たちもみな」と言えた、「私もあなたたちと同じ、死んだも同然の罪人だ」と言えた、このパウロの姿に倣いたいと思うのです。
「しかし、あわれみ豊かな神は」
さて、唯一の神を知たない異邦人も、唯一の神を知っているはずのユダヤ人も、同じように罪に捕らえられ、「空中の権威を持つ支配者」に捕らえられてしまうとすれば、私たちはどうすればよいのでしょうか。どうすれば、この目に見えない「支配者」から逃れられるのでしょうか。
山本七平は『「空気」の研究』の結論部分でこう述べます。〈人が「空気」を本当に把握し得たとき、その人は空気の拘束から脱却している。〉目に見えない「空気」の正体を理解し、把握することによって、その支配から抜け出せるのだというわけです。たしかに、敵の正体を把握するということは重要です。しかし、正体を把握できたとしても、本当にその支配から逃れられるでしょうか。いじめが起きる教室で、不正が行われる職場で、「これは空気の支配だ」とその構造や原因を正しく認識したところで、結局のところ何もできないのが私たちの現実ではないでしょうか。
私たち自身の把握能力とか、分析力とか、決断力によって、この「支配者」から逃れることはできません。どれだけ努力しても、この支配から逃れることはできません。私たちに必要なもの、私たちが救われる道は、ただ一つです。パウロは語ります。4節と5節。「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」
「空中の権威を持つ支配者」にしてやられる私たち。自分の力ではもうどうすることもできなくなって、まさに「死んで」いるとしか言えなくなった私たち。しかし、そんな私たちだからこそ、「あわれみ豊かな神」と出会えるのです。この神は、「能力の高い人間を評価する神」とか、「罪を断ち切る決断力のある人間を愛する神」ではありません。聖書はこの神について語り続けています。アブラハムがこの神と出会ったのは、彼が自分の将来について、自分の力ではどうすることもできずに絶望していたからでした。ハガルがこの神と出会ったのは、彼女が他人からの妬みや自分自身の高慢さによって荒野に追いやられ、死にかけていたからでした。ヤコブも、モーセも、ダビデも、エリヤも、自分自身の力に絶望したときに、この神と出会いました。
「空中の権威を持つ支配者」は、サタンとか、悪魔とも呼ばれます。彼は、ありとあらゆる手段を使って、私たちを支配しようとします。サタンの策略は、私たちの力ではどうすることもできないほどに強く、賢く、執念深い。しかし、私たちの力ではどうすることもできないからこそ、私たちには希望があるのです。「あわれみ豊かな神」が目を留めてくださるからです。「空中の権威を持つ支配者」が最も恐れていることは、私たちがこの神と出会ってしまうことです。私たちがこの神の恵みにより頼み、この神とともに歩み始めることなのです。黙想と祈りの時を持ちましょう。
黙想・祈り
どうすれば私たちは、「空中の権威を持つ支配者」から解放されて、生き生きと生きることができるのでしょうか。この世の流れに流されることなく、「空気」に怯えることもなく、かといって唯一の神を知っていることに高ぶることもなく、人と自分を比べて満足することからも解放されて、素直に人を愛して生きることができるのでしょうか。聖霊さまの助けを祈り求めましょう。
父なる神さま。流されやすい私たちです。あなたのみことばよりも、「空気」を恐れてしまう私たちです。もしくは、みことばをこうして聴くときにさえ、「聖書を学んでいる自分は優れている」と高慢になる私たちです。どうか、私たちをあわれんでください。私たちの力では、これらの支配から逃れることはできません。どうか、あなたの豊かな恵みによって私たちを自由にし、生き生きとした歩みをお与えください。キリストの御名によって祈ります。アーメン。

