聖書の説教

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秋山善久師「主は私の羊飼い」(詩篇23:1-6)新着!!

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第15回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後には「二十歳祝福式」が行われました。

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マタイ2:19-23「彼はナザレ人と呼ばれる」(宣愛師)

・・・・・・〈これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった〉と書かれています。ところが不思議なことに、旧約聖書のどこを読んでも、「彼はナザレ人と呼ばれる」という言葉はありません。そもそも、「ナザレ」という言葉さえ、旧約聖書のどこにも書かれていないのです。一体どういうことなのか。いくつかの説があります・・・・・・

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イザヤ6:13, 11:1「切り株とキリスト」(宣愛師)

・・・・・・「切り株」についてインターネットで調べていたら、「枯れたはずのぶどうの切り株から新芽が出てきました」というブログ記事を見つけました。「切り株になって枯れたはずの巨峰から奇跡的に新芽がでました」とのことで、写真が添えられていました。ブドウスカシバという虫の幼虫に喰われてしまったことが原因で、切り倒すしかなかったのだそうですが、何ヶ月も様子を見守っていたら、切り株から新しい芽が出てきたのだそうです・・・・・・

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ルカ2:8-12「飼葉桶のにおい」(宣愛師)

・・・・・・クリスマスを描くキリスト教の絵画はたくさんありますが、多くの場合、小さなイエス様のからだがうっすら光り輝いていて、いかにも「この赤ちゃんが救い主ですよ」と一目でわかるような描かれ方になっています。……しかし天使が語ったのは、「あなたがたは、光り輝くみどりごを見つけます」ということではありませんでした。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」・・・・・・

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ルカ14:12-14「サンタクロースの幸せ」(宣愛師)

・・・・・・サンタクロースというのは本来、何の「お返し」もできないような貧しい子どもたちにプレゼントを届ける存在でした。しかしいつの間にか私たち大人は、「ちゃんと良い子にしてたら、サンタさんからプレゼントがもらえるよ」と言ってしまうようになりました。そうやって、本来のクリスマスの喜びを歪め、狭めてしまうようになりました。私たちクリスチャンも、「教会でぜひ本当のクリスマスを祝いましょう」と言いながら、どこか間違った祝い方をしているということがあるかもしれません・・・・・・

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ルカ1:26-38「マリアへの受胎告知」(まなか師)

・・・・・・当時の慣習では、結婚していない女性が妊娠すれば、姦淫の罪を犯した者として石打ちの刑です。マリアは不貞を働いた女として、罪人として、突然、妊娠生活を始めなければいけません。周りの人々に何と言われるだろうか。何よりヨセフにどう思われるだろうか。……マリアの人生なのに、マリアの意見が聞かれることもない。何の断りもなく、彼女は神の子の母にさせられました。それにも関わらず、御使いは「おめでとう、恵まれた方」と言ってはばからないのです・・・・・・

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ルカ5:12-13「クリスマスは汚れた祭り?」(宣愛師)

・・・・・・「汚れたものに触れてはならない。」汚れた異教の祭りに由来するような行事を祝うことは、神に嫌われることである。だから、クリスマスを祝ってはならない。このような理由でクリスマスを良く思わないのは、エホバの証人だけではありません。いわゆる正統的なキリスト教徒たちの中にも、異教の祭りに由来するという理由で、クリスマスを祝うことを推奨しない方々がいます。私はこの問題についてあれこれと考える中で、この問題は、単にクリスマスを祝うべきか祝うべきではないか、ということにとどまらない、もっと重要な問題なのではないか、と思うようになりました。それは、神様に喜ばれる“聖なる生き方”とはどのような生き方なのか、ということです・・・・・・

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マルコ15:33-39「神の子」(宣愛師)

・・・・・・しかし、イエス様が「どうして」と叫ばれたのはなぜでしょうか。ご自分がなぜ十字架にかからなければならないのか、イエス様はお忘れになってしまったのでしょうか。ご自分がこの世界に来たのは、「多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるため」(10:45)だと仰っていたはずです。「人の子は人々の手に引き渡され、殺される。しかし、殺されて三日後によみがえる」(9:31)と、イエス様ご自身が弟子たちに何度も何度も教えておられたはずです。ご自分の死の意味も、その先に復活の希望があることも、イエス様はよくよく分かっておられたはずです。それにもかかわらず、「どうして」と叫ばざるを得なかった。なぜなのでしょうか・・・・・・

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ヨハネ5:1-18「安息日に働く主」(まなか師)

・・・・・・彼は間違った方法で癒やされようとしていました。イエス様は「池の中に入れてほしいか」と尋ねたのではなく、「良くなりたいか」と問いかけたんです。でも彼は「はい、良くなりたいです」と答える代わりに、「主よ、誰も池の中に入れてくれないんです」とイエス様に訴えた。それはまるで、寂しさをお酒で癒やそうとしている人が、「主よ。誰もお酒をくれないんです」とイエス様に訴えているようなものです・・・・・・

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秋山善久師「主の御声を聴く者」(コロサイ3:12-17)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第14回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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