聖書の説教
秋山善久師「いつまでも残る愛」(Ⅰコリント13:1-13)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第3回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。
マルコ4:35-41「どうして怖がるのですか」
・・・・・・私たちクリスチャンも、「無事」という言葉をよく使うと思います。「〇〇礼拝が無事に行われますように」とか、「子どもたちが無事に成長しますように」など、「無事」を祈ることがよくあります。しかし、果たして私たちの祈りは、「無事」を祈る祈りでいいのでしょうか?・・・・・・
マタイ1:23「神が私たちとともにおられる」
・・・・・・みなさんは、全てを自分の思い通りに決められる人生のほうが幸せだと思うでしょうか。全て自分で決めたい、自分の人生は自分のものだ、だれにも邪魔されたくない、と思うでしょうか。しかし、神様はみなさんの人生の邪魔をしない方ではありません。神様は、みなさんの人生に、みなさんが想像もしていなかったようなことを起こそうと計画しておられるからです・・・・・・
ルカ2:8-12「飼葉桶の王さま」
・・・・・・それでは3つ目の質問です。イエス様が家畜小屋の飼葉桶の中に生まれたのは、何のためだったでしょうか?これは難しい質問かもしれません。どうしてイエス様は、立派な王さまの宮殿とか、綺麗で清潔な病院とかではなくて、動物たちのよだれだらけの汚い家畜小屋でお生まれになったのでしょうか?・・・・・・
ルカ1:46-55「私は主を大きくする」
・・・・・・60年前くらいに、森永のチョコレートのCMで、「大きいことはいいことだ」というCMソングが流行ったそうです。「大きいことはいいことだ」というのは、なかなか説得力のある売り文句だと思います。私たちは何でもかんでも「大きいことはいいことだ」と思っているのかもしれない。働く会社はなるべく大きいほうがいい。建てる家はなるべく大きいほうがいい。通う大学はなるべく有名で立派な場所がいい・・・・・・
ルカ1:5-13, 18-25「その時が来れば実現する」
・・・・・・たしかに、“信仰”はとても大切なものです。信仰を持つことは、クリスチャンにとって基本中の基本です。しかし、今日はあえてみなさんに問いかけてみたいと思います。誤解を恐れずに尋ねてみたいと思います。“信仰”というのは、そんなに大切なことなのでしょうか? いや、少し聞き方を変えてみましょう。「あなたの信仰がどれほど強いか」とか、「あなたの信仰がどれほどしっかりしているか」ということは、そんなに重要なことなのでしょうか?・・・・・・
ヨハネ1:6-9「すべての人を照らす光」
・・・・・・キリスト教が教える「自立」というのは、イエス様と一緒に生きていけるようになる、ということです。イエス様という「光」と共に歩めるようになる、ということです。「○○牧師がいないと生きていけない」とか、「○○教会じゃないと自分はクリスチャンとしてやっていけない」とか、そういうことではなくて、「イエス様がいるから私は生きていける」ということです・・・・・・
秋山善久師「主のからだである教会」(Ⅰコリント12:17-27)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第3回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。
マルコ4:21-34「秘められた神の国」
・・・・・・教会がどんなに大きな不安の中にあったとしても、私たちがどんなに心配してしまうとしても、「全てのことは主の計画の内にあり、主から出ている」。……では、私たちはどのようにして、「主の計画」を知ることができるのでしょうか? 「主の計画」とはどのような計画なのでしょうか? その答えを教えてくれるのが、今日の聖書箇所に出て来る四つのたとえ話です・・・・・・
マルコ10:13-16「子どもたちを来させなさい」
・・・・・・説教準備を始める前、なんとなく私は、「子どもたちをどのように祝福したら良いのか」とか、「イエス様は子どもたちをどのように祝福したのか」とか、そういう説教をすることになるのかなと想像していました。ところが、今日の聖書箇所や前後の文脈を何度も読んでみたり、いろいろな研究者が書いた聖書の注解書を読んだりする中で、「ああ、今日の聖書箇所の最も重要なポイントは、“子どもが祝福される”ということよりも、“弟子たちが叱られる”ということだ」と気づいたんです・・・・・・