聖書の説教

聖書の説教
ヨハネ1:6-9「すべての人を照らす光」

・・・・・・キリスト教が教える「自立」というのは、イエス様と一緒に生きていけるようになる、ということです。イエス様という「光」と共に歩めるようになる、ということです。「○○牧師がいないと生きていけない」とか、「○○教会じゃないと自分はクリスチャンとしてやっていけない」とか、そういうことではなくて、「イエス様がいるから私は生きていける」ということです・・・・・・

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秋山善久師「主のからだである教会」(Ⅰコリント12:17-27)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第3回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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マルコ4:21-34「秘められた神の国」

・・・・・・教会がどんなに大きな不安の中にあったとしても、私たちがどんなに心配してしまうとしても、「全てのことは主の計画の内にあり、主から出ている」。……では、私たちはどのようにして、「主の計画」を知ることができるのでしょうか? 「主の計画」とはどのような計画なのでしょうか? その答えを教えてくれるのが、今日の聖書箇所に出て来る四つのたとえ話です・・・・・・

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マルコ10:13-16「子どもたちを来させなさい」

・・・・・・説教準備を始める前、なんとなく私は、「子どもたちをどのように祝福したら良いのか」とか、「イエス様は子どもたちをどのように祝福したのか」とか、そういう説教をすることになるのかなと想像していました。ところが、今日の聖書箇所や前後の文脈を何度も読んでみたり、いろいろな研究者が書いた聖書の注解書を読んだりする中で、「ああ、今日の聖書箇所の最も重要なポイントは、“子どもが祝福される”ということよりも、“弟子たちが叱られる”ということだ」と気づいたんです・・・・・・

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マタイ22:23-33「生きている者の神」

・・・・・・“墓前礼拝”というのは、「お墓の前で礼拝する」と書きますが、もちろん「お墓を礼拝する」ということではありませんし、「お墓の中で眠っている方々を礼拝する」ということでもありません。普通の日本人の感覚では、“亡くなった方々を礼拝する”ということもあるわけですが、私たちクリスチャンが礼拝するのは神様だけです。でもそうなると、「じゃあ、なんでわざわざお墓の前で神様を礼拝をするの?」と思う方もいるかもしれません・・・・・・

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マルコ4:1-20「イエスの"謎"に喰らいつく」

・・・・・・「たとえ」という単語は、ギリシャ語ではたしかに「たとえ」という意味しかないので、日本語の聖書では「たとえ」と訳しています。ただ、イエス様が話していたヘブル語やアラム語では、「たとえ」という言葉には、“謎”とか“なぞなぞ”という意味も含まれているんです・・・・・・

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マルコ3:31-35「イエスは家に帰らない」

・・・・・・統一教会のことが話題になってから、「宗教は家族を壊す」というイメージが広がっています。「宗教は大切な家族を壊す」とか、「宗教は大切な家族を奪う」というイメージが広がってしまっています。……少なくとも今日の聖書箇所を読むと、「キリスト教は家族を壊す」と言われても仕方がないような気がしてしまいます・・・・・・

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ゲルソープ・マーク師「人間を恐れず、天の神様を恐れる」(ルカ12:1-12)

(※本日は花巻めぐみキリスト教会との"講壇交換"のため、ゲルソープ・マーク先生が盛岡みなみ教会でご奉仕くださいました。佐藤宣愛師は花巻めぐみキリスト教会に伺ってご奉仕しました。)

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マルコ3:20-30「イエスはおかしくなった」

・・・・・・いや、もしかすると私たちは、もうすでに「おかしくなった」と思われているのかもしれません。「どうしてあの人たちは、せっかくの日曜日の休日に、教会なんかに集まっているんだ?」とか、「どうしてあの人たちは、せっかく働いて稼いだ給料を、献金なんて言って献げてしまうんだ?」と、不思議に思われているかもしれません・・・・・・

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マルコ3:13-19「彼らをご自分のそばに」

・・・・・・その先輩牧師はこんな質問をしました。「イエス様が十二人の弟子たちを選んだのは、何のためだったと書いてありますか?」そこで私は、「宣教をさせることと、悪霊を追い出させることです」と答えようとしたんですが、私よりも先に別の人が、「ご自分のそばに置くためです」と答えまして、「あっ」と思いました・・・・・・

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