週報コラム
No.96【エブリイくんとエスクルさん】

◆昨日、エブリイくんが旅立ちました。盛岡みなみ教会の子ども食堂「せいなんプラス」で大活躍してくれた、かわいくて頼もしい白色の軽貨物車でした。……と言っても、処分してしまったわけではありません。“エスクル岩手”さんと共に、 […]

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聖書の説教
マルコ12:1-12「愚かな主人の愛」(宣愛師)

・・・・・・しかし、このたとえ話の中で最も愚かだったのは、この農夫たちではないと思うんです。たしかに、遣わされてきたしもべたちを殺し続け、最後には息子さえも殺してしまった、この農夫たちの愚かさは常軌を逸しています。ところが、この農夫たち以上に愚かであったのは、むしろこの主人ではないでしょうか・・・・・・

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週報コラム
No.95【恐れない人生の秘訣:V・E・フランクル】

◆人類最大の恐怖は“死”ですが、“死”が怖くなくなったら、人は何を恐れるのでしょうか? ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を生き延びた精神科医のV・E・フランクルは、次のような分析を述べています。 〔地獄のような強制収容所か […]

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聖書の説教
マルコ11:27-33「わたしに答えなさい」(宣愛師)

・・・・・・「キリストが復活したというのは、弟子たちの作り話じゃないのか?」「この世界を神が造ったとは本当だろうか?」「神がいるなら、なぜこの世界にはこんなにも苦しみが多いのだろうか?」……もちろん、疑問を持つことは悪いことではありません。むしろ、あまり深く考えずに信じてしまうよりは、疑問から逃げずにしっかり悩んだ上で慎重に信じたほうが良いと思います。そのほうが確かな信仰になると思います。ただし、そこで私たちが注意すべきことは、一方的に疑問をぶつける権利が、私たち人間の方にあると思い込んでしまうことです・・・・・・

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週報コラム
No.94【松阪キリスト教会に行ってきます】※マナカ寄稿

◆ノア先生と私(マナカ)は、今日は三重県の松阪キリスト教会へ礼拝奉仕に来ています。当初は9月に予定していた奉仕ですが、私たちの体調不良で延期となり、このタイミングとなりました。盛岡みなみ教会を留守にするにあたり、 ご理解 […]

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聖書の説教
創世記22:1-5, 9-12「人が神にならないために」(宣愛師)

・・・・・・イサクはアブラハムの人生の全てでした。「この子さえ立派に育ってくれれば、私は幸せだ。この子さえ立派に育ってくれれば、私の人生は大成功だ。この子さえ、この子さえ立派に育ってくれれば……。」しかし、イサクの立場になって考えてみてください。「お父さんの幸せは、僕にかかっている。お父さんの人生が成功するかどうかは、僕が立派に育つかどうかにかかっている……。」こんなに大きなプレッシャーに、イサクは耐えられるでしょうか・・・・・・

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週報コラム
No.93【「私は清和天皇の末裔です」】

◆「Nちゃんのことだけじゃなくて、私のこともノアコラムに書いてくださいよ~」というYちゃんからの圧力が、無視できぬほど強くなってきました。「私は清和天皇の末裔です」や、「日本はもう一度鎖国すべき」などの過激発言(笑)を繰 […]

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聖書の説教
秋山善久師「問われた信仰告白」(マタイ22:41-46)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第9回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後には二十歳祝福式を行いました。

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週報コラム
No.92【「終わりまでを見極める」】

◆「伝道者」(ヘブル語で“コヘレト”)と名乗る謎の人物は、「人に降りかかるわざわいは多い。何が起こるかを知っている者はいない」(伝道者の書 7章6-7節)と語りました。私たちも突然の地震や津波の脅威に驚き、「どうして世界 […]

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聖書の説教
伝道者12:1-2, 13-14「十字架の喜」(宣愛師)

・・・・・・東日本大震災が起こった時、「なぜ東北の人たちがこんなにも苦しまなければならないのか?」という疑問を持った人々がいました。それは当然の疑問だと思います。しかし、その疑問に対してある人々は、というか、一部のキリスト教徒は、「東北地方の人々はイエス・キリストを信じず、偶像礼拝をたくさんしていたからだ」という答えを提示しようとしたのです。「東北地方の人々がキリストを信じなかったから、神が地震と津波によってさばきを下したのだ」というわけです・・・・・・

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