キリスト教弁証論
No.125【論より証拠】
◆今年4月に始めた“キリスト教弁証論”の連載では、これまで11個の問いを取り上げました。自分の能力の限界やスペースの限界(40文字×12行?)と格闘しつつ、「だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(第一ペテロ […]
No.123【弁証論⑪:“みんな罪人”は事実か?】
◆「すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」(ローマ5:12)と聖書は語りますが、それは事実でしょうか?「一度は嘘ついたことあるよね?だからみんな罪人なんだよ」という答えも聞きますが、小さな嘘を死罪とするほ […]
No.120【弁証論⑩:異教徒のほうが道徳的では?】
◆「キリスト教国のアメリカは、異教国の日本よりも優れているにちがいない!」という内村鑑三(うちむらかんぞう)の若き日の幻想は、アメリカ留学によって見事に打ち砕かれました。そこには神の名の乱用があり(「Oh, my God […]
No.118【弁証論⑨:なぜ人は罪を犯せるのか?】
◆先週のコラムでは、「なぜ神は戦争や貧困や災害などの悪を許容するのか?」という問いを扱い、〈悪の原因は神にではなく、罪を犯す人間にある〉と論じました。しかし、「それなら神はなぜ、“罪を犯せない存在”として人間を造らなかっ […]
No.117【弁証論⑧:なぜ神は悪を許容するのか?】
◆“キリスト教弁証論”の中でも最も難しく、しかし避けては通れない問い。それは、「なぜ神は悪を許容するのか?」という問題です。「なぜ戦争や貧困や災害などを許容するのか? そのような神は結局、存在しないか、冷酷であるか、無力 […]
No.116【弁証論⑦:一神教は不寛容か?】
◆「いろいろな神様を認める“多神教”は寛容だけど、一人の神様しか認めない“一神教”って不寛容だよね」―――たしかに、「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません」(使徒4:12)と語ってしまうキリ […]
No.115【弁証論⑥:"父なる神"は男尊女卑か?】
◆( 「父の日」 に相応しくないかもしれませんが!)今回取り上げたい“キリスト教批判”は、「“父なる神”という教えは男尊女卑ではないか?」です。実際には、神様を“母”として描く聖書箇所もあるのですが(イザヤ66:13など […]
No.114【弁証論⑤:イエスは実在したのか?】
◆「抑論」と書いて「よくろん」ではなく「そもそもろん」と読むそうです。物事を根本から考え直す「抑論」はあらゆる分野で重要ですが、「抑論」であればあるほど、意外と答えるのは難しいかもしれません。そこで今回扱いたいテーマは、 […]
No.113【弁証論④:献金は牧師の営利事業か?】
◆「ぼく知ってるよ。献金って、神様に届けるんじゃなくて、牧師の給料になるんでしょ?」―――とある小学生の発言に、神学生だった僕は素直に感心しました。小さな教会の場合、支出の大半は牧会者への“報酬”です。それなのに、神様へ […]
No.110【弁証論③:なぜ神は聖絶を命じたのか?】
◆聖書に関する疑問の中で、僕自身も悩まされてきたのは、「なぜ神は聖絶(せいぜつ)を命じたのか?」という問題です。たとえば、「……次の民の町々では、息のある者を一人も生かしておいてはならない。すなわち、ヒッタイト人、アモリ […]