マルコの福音書

聖書の説教
マルコ9:14-29「祈りの中にいなければ」(宣愛師)

・・・・・・ある牧師の話を思い出します。少し汚い話ですけれども、その牧師がこんな風に言うんです。「私は、トイレに行く度に、神様に感謝するんです。おしっこをする度に、うんちをする度に、神様に感謝の祈りを献げるんです。『神様、今日もおしっこができて感謝します。うんちができて感謝します』と祈るんです。」初めて聴いたときは、「なんだか変なことを言う人だなあ」と思いましたけれど、でも今では、「祈りの中にいる」というのは、そういうことなんだなと納得するんです・・・・・・

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聖書の説教
マルコ9:2-13「山を下りながら」(宣愛師)

・・・・・・「幕屋を三つ造りましょう」と、それらしいことを言ってみたペテロでしたが、実際には「何を言ったらよいのか分からなかった。」マルコの福音書は、ペテロの証言によって書かれたと言われますから、ペテロ自身が恥ずかしそうにしながら、「いやあ、あの時はホント、何を言ったらいいのか分からなかったんだよね」と語ったのかもしれません。……このとき、ペテロは少なくとも二つの間違いを犯しました・・・・・・

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聖書の説教
マルコ8:38-9:1「神の国が力をもって」(宣愛師)

・・・・・・でも、本当に神の国は来たのでしょうか。神の国なんて来る前に、弟子たちはみんな死んでしまったのではないでしょうか。それどころか、二千年経った今でも、いつまで経っても神の国はやって来ないし、イエス様も来てくださらない。相変わらずこの世界は、戦争や貧困に満ちているじゃないか。相変わらずこの世界は人間の罪で満ちているじゃないか。本当に神の国は来るのでしょうか? イエス様が言っていたことは、全て間違いだったのでしょうか?・・・・・・

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聖書の説教
マルコ8:34-37「いのちの正しい使い方」(宣愛師)

・・・・・・私たちは、長野さんのような人格者ではないかもしれません。長野さんのように熱心な信仰もなければ、人から尊敬されるほど真面目に働いているわけでもないかもしれない。しかし、今日私たちが心に留めたいのは、長野さんの熱心さや真面目さではなく、“いのちについての考え方”です・・・・・・

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聖書の説教
マルコ8:22-34「はっきりと見えるように」(宣愛師)

・・・・・・私たちは、“イエス様がどれだけ楽しませてくださったか”だけでなく、“イエス様のためにどれだけ苦しむことができたか”ということも、恵みの一部として思い出しても良いと思います。盛岡みなみ教会のこの19年間の歩みも、楽しいことばかりではなかったはずです。色々な苦しみがあったはずです。しかし、それが「キリストのために苦しむこと」であったならば、それは私たちの恵みでもある・・・・・・

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聖書の説教
マルコ8:11-21「まだ証拠が足りないのか」(宣愛師)

・・・・・・なので、洗礼を受けた後も私は、「ああ、自分も他のクリスチャンみたいに、もっとはっきりとしたきっかけがあれば、今よりも強くてしっかりとした信仰になるかもしれないのになあ」とか思ったりしたんですね。これは今でも思います。なんだか自分の信仰は生ぬるい気がして、もっと良いきっかけがあれば、なんて思ったりするんです・・・・・・

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聖書の説教
マルコ8:1-10「分からず屋の弟子たち」(宣愛師)

・・・・・・「あれ、似たような話、前にも読んだことあるかも?」というのは、今日の聖書箇所に限ったことではないかもしれません。聖書の中には、似たような話とか、同じような言葉がよく繰り返されます。「恐れてはならない」とか「安心しなさい」という御言葉は、聖書の中に百回以上出てきます。どうして神様は、そんなに何度も同じことを言われるのか・・・・・・

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聖書の説教
マルコ7:31-37「口止めされればされるほど」(宣愛師)

・・・・・・新しい時代の始まりは、イエス様にとって必ずしも楽しいことばかりではありませんでした。なぜなら、“古い時代”の人々との戦いがいよいよ激しくなるからです。ガリレオが「地動説」を主張した時、“古い人々”はそれを揉み消そうとしました。新しい時代が始まろうとすれば、必ずそれを拒否する人々がいます。“古い時代”と“新しい時代”の戦いが始まる。その重大な瞬間に際して、イエス様は深くため息をついた・・・・・・

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聖書の説教
マルコ7:24-30「食卓の下の小犬」(宣愛師)

・・・・・・今の時代は、権利を主張する時代です。「私たちにはこういうことをする権利がある!」とか、「私たちにはこれこれのサービスを受ける権利がある!」というような主張が至るところで繰り広げられている時代です。もちろん、そうやって権利を主張することは必要なことです。……ただ、もしかすると私たちは、そういう「権利」というものに慣れてしまって、「人権」という考え方に慣れてしまって、神様に対しても同じようなことを主張してしまいがちかもしれません・・・・・・

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聖書の説教
朝岡勝師「神のことばは滅びない」(マルコ13:28-31)

(※佐藤伝道師の結婚式で司式をしてくださった朝岡勝(あさおかまさる)先生が、翌日の日曜礼拝でもご奉仕くださいました。)

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