ヤコブの手紙
ヤコブ1:19-25「応答」(礼拝式シリーズ⑨|宣愛師)
2026年3月8日
・・・・・・ところが、「自分はみことばをちゃんと聞いているのに」という怒りが湧いている時、私たちは実は、聞いているようで聞いていないのです。みことばを「聞く」ということは、なによりもまず自分へのことばとして「聞く」ということです。それなのに、聖書を読んでいる時に、自分ではない誰かのことばかり考えている。「聖書にはこう書いてあるのに、どうしてあの人はあんな生き方しかできないんだろう」と、人をさばきながら聖書を読む。説教を聞いている時にも、「おお、この説教はまさにあの人のことだ。これを聞けばあの人も悔い改めるに違いない」と思って、礼拝堂の中でちらっとその人のほうを見てみたりする・・・・・

