No.113【弁証論④:献金は牧師の営利事業か?】

◆「ぼく知ってるよ。献金って、神様に届けるんじゃなくて、牧師の給料になるんでしょ?」―――とある小学生の発言に、神学生だった僕は素直に感心しました。小さな教会の場合、支出の大半は牧会者への“報酬”です。それなのに、神様への“献金”だと言えるのでしょうか?

◆使徒パウロは、コリント教会からの報酬を断固として拒否し、「(報酬を受け取るよりは)死んだほうがましです」と言いました(第一コリント9:14-15)。それなのに彼は、ピリピ教会からのお金は喜んで受け取るのです(ピリピ4:15-16)。矛盾とも思えるパウロの言動ですが、そこには一貫した原則があります。それは、〈①福音が無償の恵みであることを示すために、福音を聞く人々(コリント教会)からの“報酬”は受け取らないが、②福音を無償で伝えるためにこそ、すでに協力者となった人々(ピリピ教会)からの“支援”は受け取る〉という原則です。

◆この原則によれば、 教会が牧師に渡すお金は、給料や報酬や謝儀ではなく“協力費”です。もちろん、パウロ(巡回宣教者)と牧師(定住牧会者)の違いもありますが(第一テモテ5:17-18)、無償の宣教という神の“非営利事業”に、感謝して参加するのが“献金”なのです。(No.65も参照)