No.139【ふたつのクリスマス:12月25日と1月7日】新着!!
◆昨年の夏頃に、ちょっと不思議なニュースが流れました。《ウクライナ政府、クリスマスの祝日を1月7日から12月25日に変更》。タイトルだけではやや意味不明。「そもそも1月7日に祝ってたの?」「どうして12月25日に変えたの […]
ルカ1:26-38「マリアへの受胎告知」(まなか師)新着!!
・・・・・・当時の慣習では、結婚していない女性が妊娠すれば、姦淫の罪を犯した者として石打ちの刑です。マリアは不貞を働いた女として、罪人として、突然、妊娠生活を始めなければいけません。周りの人々に何と言われるだろうか。何よりヨセフにどう思われるだろうか。……マリアの人生なのに、マリアの意見が聞かれることもない。何の断りもなく、彼女は神の子の母にさせられました。それにも関わらず、御使いは「おめでとう、恵まれた方」と言ってはばからないのです・・・・・・
No.138【クリスマスが今年もやって来る】
◆ケンタッキーフライドチキンのCMソングとして2000年に発表された『すてきなホリデイ』。「クリスマスが今年もやって来る 悲しかった出来事を 消し去るように」というフレーズに、(パーティバーレルを買うかは別として)毎年心 […]
ルカ5:12-13「クリスマスは汚れた祭り?」(宣愛師)
・・・・・・「汚れたものに触れてはならない。」汚れた異教の祭りに由来するような行事を祝うことは、神に嫌われることである。だから、クリスマスを祝ってはならない。このような理由でクリスマスを良く思わないのは、エホバの証人だけではありません。いわゆる正統的なキリスト教徒たちの中にも、異教の祭りに由来するという理由で、クリスマスを祝うことを推奨しない方々がいます。私はこの問題についてあれこれと考える中で、この問題は、単にクリスマスを祝うべきか祝うべきではないか、ということにとどまらない、もっと重要な問題なのではないか、と思うようになりました。それは、神様に喜ばれる“聖なる生き方”とはどのような生き方なのか、ということです・・・・・・
No.137【教職者夫人の集い】※マナカ寄稿
◆先週火曜から木曜まで、同盟教団の「教職者夫人の集い」に参加してきました。全国各地から30名ほどの”牧師夫人”や”伝道師夫人”が長野県の松原湖バイブルキャンプに集まり、静まりと交わりの時間を持ちました。友人たちとの再会や […]
マルコ15:33-39「神の子」(宣愛師)
・・・・・・しかし、イエス様が「どうして」と叫ばれたのはなぜでしょうか。ご自分がなぜ十字架にかからなければならないのか、イエス様はお忘れになってしまったのでしょうか。ご自分がこの世界に来たのは、「多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるため」(10:45)だと仰っていたはずです。「人の子は人々の手に引き渡され、殺される。しかし、殺されて三日後によみがえる」(9:31)と、イエス様ご自身が弟子たちに何度も何度も教えておられたはずです。ご自分の死の意味も、その先に復活の希望があることも、イエス様はよくよく分かっておられたはずです。それにもかかわらず、「どうして」と叫ばざるを得なかった。なぜなのでしょうか・・・・・・
No.136【「女の人は教会では黙っていなさい」?】
◆「女の人は教会では黙っていなさい。……もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい」(第一コリント14章34-35節)というパウロの言葉は差別的にも聞こえます。しかし、同じ手紙の中でパウロは、「女はだれでも祈りや預 […]
ヨハネ5:1-18「安息日に働く主」(まなか師)
・・・・・・彼は間違った方法で癒やされようとしていました。イエス様は「池の中に入れてほしいか」と尋ねたのではなく、「良くなりたいか」と問いかけたんです。でも彼は「はい、良くなりたいです」と答える代わりに、「主よ、誰も池の中に入れてくれないんです」とイエス様に訴えた。それはまるで、寂しさをお酒で癒やそうとしている人が、「主よ。誰もお酒をくれないんです」とイエス様に訴えているようなものです・・・・・・
No.135【主の祈りの謎:「赦します」?「赦しました」?】
◆盛岡みなみ教会が使っている“主の祈り”の翻訳では、「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました」(新改訳第3版)となっていますが、新しい翻訳(新改訳2017)では、「私たちの負い目 […]
秋山善久師「主の御声を聴く者」(コロサイ3:12-17)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第14回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。