週報コラム
No.126【補教師研修会のご報告】新着!!

◆2022年はコロナ禍でZoom受講、2023年は自分自身のコロナ発症で録音受講となった補教師研修会。今年は対面での参加が叶いました。友人たちや先輩たちと再会できたり、五年ぶりの浜名湖が嬉しかったり、幸いな四日間でした。 […]

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聖書の説教
秋山善久師「主の御声を聴く者」(第一サムエル3:1-14)新着!!

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第13回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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週報コラム
No.125【論より証拠】

◆今年4月に始めた“キリスト教弁証論”の連載では、これまで11個の問いを取り上げました。自分の能力の限界やスペースの限界(40文字×12行?)と格闘しつつ、「だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(第一ペテロ […]

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聖書の説教
マルコ14:43-52「聖書が成就するため」(宣愛師)

・・・・・・いろいろ調べていくうちに、悲しい現実に気づいてしまいました。人間不信は連鎖していく、という現実です。人間不信になってしまった人は、自分の周りの人たちにも人間不信を広げてしまう傾向がある。常に周りの人を疑っているから、自分の本音を言えない。家族や親しい友人に対してさえ、自分の本当の気持ちを正直に伝えることができない。すると何が起こるか。人間不信で苦しんでいるあなたのことを、周りの人も信じられなくなるんです。悪循環です。このようなことが世界中で起こり続けている。誰かがこの連鎖を止めなければなりません。しかし、私たち人間が解決するには、あまりにも重すぎる問題かもしれません。一体だれが私たちを救えるのか・・・・・・

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週報コラム
No.124【「教会って家族なんですか?」】

◆「フロンティア青年宣教大会」へ参加し、たくさんの喜びと祝福を頂いたのは良いものの、ついでに流行りの病も頂いて(?)、人生最高の39.7度。1泊だけさせてもらうはずだった中野教会に4泊もお世話になってしまい、結局まるまる […]

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聖書の説教
ヨハネ4:39-42「聞いて分かったのです」(まなか師)

・・・・・・先生はこんなこともおっしゃいました。「疑問を持つのは信仰成長のプロセスです。聖書に疑問をぶつければ、答えは必ず返ってきます。そしてその答えに対して、私たちがまた応答するというのが、イエス様と向き合い、イエス様と一緒に生きていく関係です。私たちのほうに応答する気があるなら、イエス様は必ずはっきりと語ってくださいます」。サマリアの人々もそうでした。一人の女性から「来て、見てください」と招かれ、「この方がキリストなのでしょうか」と問われて、実際に確かめてみようとやって来た・・・・・・

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週報コラム
※ 今週のコラムは休載です

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聖書の説教
秋山善久師「地の果てに届くことば」(マタイ28:11-20)

※ 本日の盛岡みなみ教会の日曜礼拝は、伝道師の体調不良のために急遽、仙台のぞみ教会の礼拝にZoomで合流となりました。

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週報コラム
No.123【弁証論⑪:“みんな罪人”は事実か?】

◆「すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」(ローマ5:12)と聖書は語りますが、それは事実でしょうか?「一度は嘘ついたことあるよね?だからみんな罪人なんだよ」という答えも聞きますが、小さな嘘を死罪とするほ […]

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聖書の説教
マルコ14:32-42「わたしの望むことではなく」(宣愛師)

・・・・・・「みんなが神様を忘れちゃう時って、どんな時?」すると、秋田から来ていた一人の男の子が、面白い答えをしてくれました。「ん~、楽しい時かなあ?」なかなか本質的な答えだと思いました。楽しい時に、私たちは神様を忘れてしまう。神様抜きで生きていけるかのような錯覚をしてしまう。でも、苦しくなると、辛い状況に陥ると、神様を思い出す。普段の祈りはテキトーなのに、お腹が痛くなった時にトイレの中で祈る祈りは誰よりも熱心。……イエス様の祈りは、“苦しい時の神頼み”ではなかった。「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」・・・・・・

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