No.153【 「主は唯一である」とは?】新着!!
◆「主は唯一である」(申命記6章4節)と聖書には書かれています。ところがキリスト教会は「御父」「御子」「御霊」の“三位一体の神”を礼拝します。「唯一」なのに「三つの位格」がある。これはどういうことなのか?―――大切なのは […]
第一コリント8:4-6「われらの主」(使徒信条⑤|宣愛師)新着!!
・・・・・・使徒信条の学びも五回目となります。本日は、「われらの主イエス・キリストを信ず」という信仰告白について、特に「われらの主」という言葉について、ご一緒に学びたいと思います。そしてそれと同時に、「宗教は自由を与えるのか、それとも、ある種の制約や義務を伴うものなのか?」というこの問いについても、聖書を通して考える機会となればと思います・・・・・・
No.152【秋山善久先生・仙台のぞみ教会との三年間】
◆秋山先生が主任牧師として盛岡みなみ教会に来てくださるのは、本日が最後となります。この三年間のお働きについては、教会総会資料の「2024年度牧会報告」に記した通りです。 仙台と盛岡の長距離を何度も行き来し、合同礼拝と聖餐 […]
秋山善久師「主の前での備え」(詩篇26:1-12)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第16回)でした。佐藤宣愛伝道師の正教師試験合格(4月より牧師就任)に伴い、秋山善久師の兼任は3月で終了となるため、本日が最後の合同礼拝となりました。また、秋山先生の3年間のご奉仕への感謝を込めて、礼拝後にささやかな食事会を行いました。
No.151【盛岡と沿岸の“距離”】
◆【盛岡 沿岸 関係性】などと調べていたら、「盛岡市民のプライド」というページを発見。〈盛岡は常に「岩手県で一番」で然るべき、と信じている〉〈盛岡市民ではあるが、岩手県民だという意識は薄い〉〈盛岡以外の岩手県を「郡部」と […]
ヨハネ1:18「そのひとり子」(使徒信条④|宣愛師)
・・・・・・ある人は、「使徒信条はここから、ユダヤ教やイスラム教と袂を分かつことになる」と語りました。キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、この天地をお造りになった全能の神を信じている。そういう意味では、同じ神を信じていると言うこともできます。しかし私たちキリスト教徒が、使徒信条の第一部から第二部に進んで、「われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず」と告白する瞬間、ユダヤ教徒やイスラム教徒とは違う仕方で、神を信じるということになる・・・・・・
No.150【ChatGPTと神義論】
◆求道中のKくんから、生成AIの便利さを逆伝道(?)されて、時々使うようになりました。先日は ChatGPT というAIに、「なぜ神は、今すぐにこの世界の悪を滅ぼさないのですか?250文字以内で教えて」と無茶振りをしてみ […]
マルコ14:36「全能の父なる神」(使徒信条③|宣愛師)
・・・・・・「なぜ、“母なる神”ではなく“父なる神”でなければならないのか。神を“父”と呼ぶことによって、男女差別や男尊女卑が助長されてしまうのではないか。神を“父”と呼ぶことは、家族の中で一番偉いのは父親だという、家父長主義の負の遺産ではないのか。」たしかに、聖書が書かれた時代というのは、女よりも男のほうが偉いと言われる時代、そして家族の中で一番偉いのは父親だ、と言われる時代でした。しかし聖書が神を「父なる神」と呼ぶのは、男尊女卑の影響を受けたからでも、家父長主義を大切にしているからでもありません。むしろその逆です・・・・・・
No.149【「では、神はいつ生まれたのか?」】
◆先週の説教では、「ビッグバンの前には何があったのか?」という問題を取り扱いました。そして、「宇宙の始まりを神様抜きで説明するのは難しい」というお話をしました。すると、この説教を聴いたHくんが後日、こんな質問をくれました […]
ヨハネ5:19-30「死からいのちに」(まなか師)
・・・・・・以前、ある方と話していたとき、冗談半分だと思いますが、こんなことを言われました。「いのちのある教会なら通い続けてみたいけど、いのちのない教会はちょっとなあ」。……教会とは、建物のことではなく、私たち一人ひとりのことですから、「いのちのある教会」があるとすれば、「いのちのあるクリスチャン」がいるということになるのでしょうか。「いのちのあるクリスチャン」とはどんな人でしょうか。元気があって、健康で、楽しそうに生きている人が、「いのちのある人」なのでしょうか・・・・・・