週報コラム
No.165【ブラジルまで行けなくても】新着!!

◆世界中の若手クリスチャンが集まる国際イベント(Younger Leaders Gathering)が、2027年3月16-22日にブラジルのサンパウロで開催されるそうです。英語が苦手な僕には縁がないと思っていましたが、 […]

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聖書の説教
使徒2:1-13「いろいろなことばで」(宣愛師)新着!!

・・・・・・神様がお望みになった世界は、一つの言語や民族や文化によって支配されるような、画一的な世界ではありませんでした。神様がアダムとエバにお命じになったのは、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記1:28)というご命令でした。創世記の10章には、神様のご命令通りに、多くの民族が世界中に広がっていく様子が記録されています。しかしバベルの人々は、そのように広がった民族や文化を、「一つの話しことば」によって支配し、一つの民族の中に閉じ込めようとします。これがバベルの人々の罪であり、やがてこの地に再び現れる、大バビロン帝国の罪でした・・・・・・

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週報コラム
No.164【イスラエルと教会】

◆「イスラエル(=神と戦う)」という名が最初に与えられたのは、アブラハムの孫であるヤコブでした(創世記32:28)。このヤコブの十二人の息子たちが、イスラエル“十二部族”の族長となります。それゆえ“十二”という数は、“神 […]

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聖書の説教
ガラテヤ3:13-14「十字架につけられ(2)」(使徒信条⑪|宣愛師)

・・・・・・私たち一人一人も同じだと思います。“黒歴史”があります。誰にも言えないような失敗や罪があります。なかったことにすることはできません。でも、なかったことにする必要もありません。聖書の中には今でも、イスラエルの黒歴史がたくさん残っています。アブラハムやモーセやダビデやペテロやパウロの黒歴史もしっかり書かれています。でも、それもぜんぶ含めて聖書です。それも含めて私たちの人生です。その恥ずかしさも、その情けなさも、全部ひっくるめて、イエス様が背負ってくださったのです・・・・・・

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週報コラム
No.163【教会創立21周年】

◆盛岡みなみ教会の21周年、おめでとうございます!主の恵みでいっぱいの一年間でした。毎週の日曜礼拝、水曜チャペル、チャーチスクール、その他様々な機会に、教会の皆さんとともに過ごした幸いな一年でした。正教師試験のためにお祈 […]

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聖書の説教
ピリピ2:1-11「十字架につけられ(1)」(使徒信条⑩|宣愛師)

・・・・・・私たちがこれまで学んできた使徒信条は、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白した後で、「われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず」と告白します。そしてその続きでは、このキリストが「十字架につけられ」て死んだ、と告白するのです。冷静に考えればおかしな話です。……全能の神の子であるはずのお方が、人間たちの力に敗北したというのです。なぜでしょうか。イエス様は本当は神の子でもなんでもない、ただの弱い人間に過ぎなかった、ということなのでしょうか・・・・・・

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週報コラム
No.162【三陸のぞみキリスト教会の就任式】

◆昨日、三陸のぞみキリスト教会の牧師就任式に、盛岡みなみ教会を代表して参列しました。盛岡から車で約1時間半。遠いような近いような山田町。私たちの教会にも山田出身の仲間たちがいます。震災の影響か、少し不自然なくらいに古い建 […]

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聖書の説教
ヨハネ6:1-15「彼らが望むだけ」(まなか師)

・・・・・・「どこから」という言葉は、ヨハネの福音書のキーワードです。どこから助けはやって来るのか。どこから必要は満たされるのか。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか」とイエス様は問われる。旧約聖書の詩篇の作者も次のように問いました。「私の助けは どこから来るのか」(詩篇121:1)。この問いは、今を生きる私たち一人一人にとっても根源的な問いであると思います。「私の助けは どこから来るのか。」・・・・・・

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週報コラム
No.161【十字架と政治家】

◆使徒信条の説教シリーズも、イエス様の十字架の受難に近づいてきました。ということで、今週は十字架に関する聖書クイズです!ややマニアックですが、ぜひ挑戦してみてください。 【第1問】イエス様が十字架にかけられた時、ローマ帝 […]

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聖書の説教
ヨハネ19:1-16a「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」(使徒信条⑨|宣愛師)

・・・・・・数ヶ月前のことですが、「今度から日曜礼拝で使徒信条の説教シリーズを始めるんだよ」という話をしたら、Hくんから、「使徒信条の中になぜピラトの名前が入っているのかについても、ぜひ取り扱ってほしいです」と言われました。「なんだかピラトがかわいそうで」という話にもなりました。たしかに、キリストを十字架につけて殺した人物として、世界中の教会でその名前が呼ばれ続けるなんて、やっぱりかわいそうだという気がします。しかし、そんな風に考える私たちは、どこかでこのピラトという人を、自分とは無関係の、他人事だと思っているのかもしれません・・・・・・

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