週報コラム
No.120【弁証論⑩:異教徒のほうが道徳的では?】新着!!

◆「キリスト教国のアメリカは、異教国の日本よりも優れているにちがいない!」という内村鑑三(うちむらかんぞう)の若き日の幻想は、アメリカ留学によって見事に打ち砕かれました。そこには神の名の乱用があり(「Oh, my God […]

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聖書の説教
マルコ14:10-21「十二人の一人」(宣愛師)新着!!

・・・・・・ユダは本当に悪者だったのだろうか。実はそんなに悪い奴じゃなかったのではないか。いや、むしろユダこそが、イエス様のお考えを理解していたのではないか。そうやってユダを救ってあげたい気持ちはよく分かるんです。「実は裏切り者ではなかった」と再解釈してあげることによって、ユダを救ってあげたい。でも、そうやってユダの罪を無かったことにしてあげることが、本当にユダを救うことになるのだろうか、とも思うんです。「実は裏切り者ではなかった」「実はそんなに悪い奴じゃなかった」。そういう主張の裏には、「本当に裏切り者だったら、そんな奴は赦されるはずがない」という前提があるのだと思います・・・・・・

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週報コラム
No.119【原敬とキリスト教】

◆先週の休暇中、ようやく「原敬記念館」に行くことができました。後に盛岡みなみ教会が建つこととなる盛岡市本宮地区に生まれ、日本で初めて平民出身の総理大臣となった原敬。「勲章や爵位は好みません。墓には名前だけ書いてください」 […]

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聖書の説教
秋山善久師「十字架を負われた主」(マタイ27:27-35)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第12回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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週報コラム
No.118【弁証論⑨:なぜ人は罪を犯せるのか?】

◆先週のコラムでは、「なぜ神は戦争や貧困や災害などの悪を許容するのか?」という問いを扱い、〈悪の原因は神にではなく、罪を犯す人間にある〉と論じました。しかし、「それなら神はなぜ、“罪を犯せない存在”として人間を造らなかっ […]

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聖書の説教
マルコ14:1-9「この人の記念として」(宣愛師)

・・・・・・トモヱ学園の前身となった学校は、手塚岸衛(きしえ)という教育者が創設した「自由ヶ丘学園」です。この学校も、名前の通り自由教育の理念によって創設されました。今でも東京の目黒区に「自由が丘」という地名がありますが、これは「自由ヶ丘学園」に合わせて付けられた地名だそうです。太平洋戦争の頃、「自由」という言葉は大日本帝国の思想に相応しくないとして、地名を変更するよう圧力をかけられたそうです。「自由」なんていう考え方は、お国の戦争のためには不必要だ、と。しかし、自由が丘の住民たちはこの地名を守り通した。自由ヶ丘の人々、トモヱ学園の人々は、市民の自由を奪う圧力や、子どもの自由を奪う教育に対して立ち向かったのです・・・・・・

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週報コラム
No.117【弁証論⑧:なぜ神は悪を許容するのか?】

◆“キリスト教弁証論”の中でも最も難しく、しかし避けては通れない問い。それは、「なぜ神は悪を許容するのか?」という問題です。「なぜ戦争や貧困や災害などを許容するのか? そのような神は結局、存在しないか、冷酷であるか、無力 […]

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聖書の説教
第二ペテロ3:8-13「そして全てが暴かれて」(宣愛師)

・・・・・・自分だって、あの人みたいな優しい心がほしかった。自分だって、もっと愛情に溢れた心がほしかった。たしかに、神様はあなたの罪をさばきます。あなたのすべてが暴かれます。しかし、そのとき、その裁きにおいて「暴かれる」のは、あなたの罪だけではありません。神様はあなたのすべてを知っておられます。なぜあなたは人を傷つけてしまうのか。もしかすればそれは、あなたが人から傷つけられてきたからかもしれません。なぜあなたは人を愛することができないのか。それは、あなたが人からの愛情をあまり受け取れなかったからかもしれません。そのこともすべて、神様は暴いた上で、裁きを行ってくださいます・・・・・・

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週報コラム
No.116【弁証論⑦:一神教は不寛容か?】

◆「いろいろな神様を認める“多神教”は寛容だけど、一人の神様しか認めない“一神教”って不寛容だよね」―――たしかに、「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません」(使徒4:12)と語ってしまうキリ […]

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聖書の説教
マルコ13:32-37「目を覚ましていなさい」(宣愛師)

・・・・・・祈りは信仰生活の基本です。しかし、祈ることができない、祈る気力が沸かない、そういうこともあるでしょう。……「生活の思い煩いで押しつぶされて」いる。あれやこれやが心配になって、プレッシャーになって、身動きが取れない。祈ることもできず、聖書を開くこともできず、布団に倒れ込む。かと言って、不安でよく眠ることもできず、結局朝まで時間を浪費してしまう。祈っていないから調子が悪いのか、調子が悪いから祈っていないのか。たぶん両方なのでしょう。でも、そんな時にも、誰かが私のために祈っている・・・・・・

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