2023年8月

週報コラム
No.74【「“お説教”みたいでイヤなんだけど!」】

◆先日、小学生のNちゃんにこんなことを言われました。「礼拝の“説教”ってあるじゃん? あれさ、名前がなんか“お説教”みたいでイヤなんだけど!」そんなNちゃんも、毎週の説教を真剣に聞いているので、「イヤよイヤよも好きのうち […]

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聖書の説教
マルコ10:1-12「創造のはじめから」(宣愛師)

・・・・・・私たちクリスチャンは、「聖書は神様のみことばだ」と信じていますから、聖書に書かれている戒めや教えに従おうとします。「これが神様の御心だ」と信じて、聖書に書かれていることをそのまま実行しようとします。しかし、実は聖書の中には、そのまま従うだけでは不十分な、“妥協した戒め”というのもあるわけです。人間たちがあまりにも自分勝手なので、せめてこれ以上状況が悪くならないようにと、神様が仕方なく命じた命令というものがあるわけです・・・・・・

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週報コラム
No.73【「だれに投票したら…?」】

◆4年に一度の“選挙シーズン”です!先週の日曜日には盛岡市長&市議の選挙が開票され、20年ぶりの市長交代ともなりました。次は岩手県知事&県議選挙、開票は9月3日(日)です。 ◆「だれに投票したらいいんだろう…?」 […]

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聖書の説教
ヨハネ3:22-30「私は衰えなければ」(まなか師)

・・・・・・「衰え」は、どちらかと言うと、私たちにとってネガティブなものです。できれば衰えたくないと願います。「衰え」ないために、日常的に運動をしよう、頭のトレーニングをしよう、身体によいものを食べよう。世の中にはそういう言葉があふれています。そうやって、私たちは「衰え」に逆らおうとします。でも、聖書がここで語っている「衰え」とは、私たちが逆らうべきものなのか。逆らうべきでないとしても、仕方なく受け入れるしかないものなのか。「衰え」ることを甘んじて受け入れなさい、と聖書は言っているのだろうか・・・・・・

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週報コラム
No.72【A B C X C B A】

◆本日の説教でも引用する箴言6章16-19節には、少し面白い文学技法が使われています。 ……主ご自身が忌み嫌うものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、咎なき者の血を流す手、邪悪な計画をめぐらす心、悪へと急ぎ走る足、まやかしを […]

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聖書の説教
マルコ9:42-50「小さい者を守る地獄」(宣愛師)

・・・・・・もちろん私は、“地獄”の存在そのものを否定しているわけではありませんし、「すべての人が天国に行ける」という楽観的なことも考えていません。“地獄”は存在しますし、聖書にもそのように書いてあります。今日の聖書箇所でも、イエス様ははっきりと“地獄のさばき”についてお語りになっています。しかし大切なのは、“聖書は何のために地獄を語っているのか?”ということです。“イエス様は何のために地獄をお語りになったのか?”ということです。このことを理解するなら、キリスト教が教えていることは、「統一教会と同じ」ではなくなるはずです・・・・・・

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週報コラム
No.71【「神の慰めをもたらすために」】

◆「ただ今から、◯◯さんの告別式を執り行います。告別式は、◯◯さんの生涯を導いた全能の主なる神を礼拝する時であり、故人を偲びつつその遺体を葬り、地上に残る者に神の慰めをもたらすために行われます。」(日本同盟基督教団『式文 […]

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聖書の説教
マルコ9:38-41「水を飲ませてくれる人」(宣愛師)

・・・・・・私たちはもしかすると、この世界には「イエス様を信じる人」と「イエス様を信じない人」の二種類しかいないと思いがちかもしれません。そして、「信じる人たちは私たちの仲間だけど、信じない人たちは仲間ではない」と言って"線"を引いてしまったり、さらには、「信じる人は天国行きだけれども、信じない人たちは地獄行き」などと、簡単に決めつけてしまうかもしれません。しかし、本当はこの世界には、「信じる」でも「信じない」でもない、もっと曖昧な人々がいるわけです・・・・・・

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