エペソ人への手紙
エペソ1:20-23「すべてのものを満たすキリスト」(宣愛師)新着!!
・・・・・・ある人が、こんな正直な思いを話してくれました。「私が教会に通っているのは、不真面目な友人たちよりも正しい人間になれるような気がするからです。」この人にとって教会とは、正しい人間、優れた人間という、社会的な評価を達成するための手段だったのかもしれません。……しかし、教会はキリストが「満ちておられるところ」です。キリスト以外の何かで満たされたいなら、教会以外にもっと良いところがあるでしょう。教会の外での競争や小競り合いを、教会の中に持ち込むことはできません。社会の評価、親や友人からの評価、そのような願望を教会で満足させることはできません・・・・・
エペソ1:15-19「聖徒たちが受け継ぐ栄光の望み」(宣愛師)
・・・・・・心の目がぼやけていると、目の前の小さな望みしか見えません。「平穏な人生が送れますように」とか、「周りの人から評価されますように」とか、「教会の人数が増えますように」とか……。しかし、私たちに与えられたのは、もっともっと偉大な望みです。ユダヤ人とギリシア人が、黒人と白人が、日本人とフィリピン人が、キリストにあって一つになる。人種の壁を越えて、すべての聖徒たちがともに御国を受け継ぐ。これこそが教会の望みであり、栄光であり、使命です・・・・・
エペソ1:11-14「"私たち"を広げる聖霊の助け」(宣愛師)
・・・・・・ 「私たち」と「あなたがた」を分けるパウロの言い方に、私は最初、ちょっと嫌な印象を持ちました。もし私がRに、「僕たち日本人はこうだけど、君たちフィリピン人はね……」みたいな言い方をしたら、ちょっと嫌な感じがします。「私たち」と「あなたがた」なんて区別せず、最初から皆で一緒に「私たち」と言えばいいじゃないか。しかしその一方で、なんでもかんでも「私たち」という言葉で一括りして良いのだろうか、とも思うのです・・・・・
エペソ1:7-10「すべてが一つに集められる」(宣愛師)
・・・・・・家族が一つになれないことがあります。夫婦も親子も兄妹も、なかなか一つになれません。教会でさえ一つになれず、バラバラの歩みをすることがあります。「相手が反省しようとしない限り、和解はもう無理です。」どんなにがんばっても、そんな言葉しか出てこないような厳しい現実があります。国と国との争いもそうです。……しかし、そのような厳しい現実にもかかわらず、聖書は驚くべきことを語ります・・・・・
エペソ1:1-6「世界の基が据えられる前から」(宣愛師)
・・・・・・役員会が色々な質問をする中、まなか先生はこう尋ねました。「Rにとって、教会とはどういうものですか?」Rさんは「神の家族です」と答えました。親戚や家族が住むフィリピンを離れ、日本で一人暮らしをする自分にとって、盛岡みなみ教会は温かい家族です、と。……今日から「エペソ人への手紙」のシリーズが始まります。この手紙のテーマを一言で表すなら、“ユダヤ人もギリシア人も一つ”です・・・・・
エペソ2:8-10「この恵みのゆえに」(宣愛師)
・・・・・・ある教会で行われた集会に、クリスチャンではない友人と一緒に参加した時のことです。賛美歌を歌ったり、聖書のメッセージを聞いたり、メッセージに関する感想を分かち合ったりする集会でしたが、気づいたらその友人が集会を抜けて、後ろの方にひとり座って泣いてしまいました。どうしたのかと話を聞くと、「クリスチャンの中にいるのが辛くなった」と言うんです。「教会も結局はキラキラした人たちの集まりなんだと思って、そこにいるのが辛くなった」と・・・・・・






