降誕祭/クリスマス

聖書の説教
イザヤ6:13, 11:1「切り株とキリスト」(宣愛師)

・・・・・・「切り株」についてインターネットで調べていたら、「枯れたはずのぶどうの切り株から新芽が出てきました」というブログ記事を見つけました。「切り株になって枯れたはずの巨峰から奇跡的に新芽がでました」とのことで、写真が添えられていました。ブドウスカシバという虫の幼虫に喰われてしまったことが原因で、切り倒すしかなかったのだそうですが、何ヶ月も様子を見守っていたら、切り株から新しい芽が出てきたのだそうです・・・・・・

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聖書の説教
ルカ2:8-12「飼葉桶のにおい」(宣愛師)

・・・・・・クリスマスを描くキリスト教の絵画はたくさんありますが、多くの場合、小さなイエス様のからだがうっすら光り輝いていて、いかにも「この赤ちゃんが救い主ですよ」と一目でわかるような描かれ方になっています。……しかし天使が語ったのは、「あなたがたは、光り輝くみどりごを見つけます」ということではありませんでした。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」・・・・・・

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聖書の説教
ルカ14:12-14「サンタクロースの幸せ」(宣愛師)

・・・・・・サンタクロースというのは本来、何の「お返し」もできないような貧しい子どもたちにプレゼントを届ける存在でした。しかしいつの間にか私たち大人は、「ちゃんと良い子にしてたら、サンタさんからプレゼントがもらえるよ」と言ってしまうようになりました。そうやって、本来のクリスマスの喜びを歪め、狭めてしまうようになりました。私たちクリスチャンも、「教会でぜひ本当のクリスマスを祝いましょう」と言いながら、どこか間違った祝い方をしているということがあるかもしれません・・・・・・

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聖書の説教
ルカ5:12-13「クリスマスは汚れた祭り?」(宣愛師)

・・・・・・「汚れたものに触れてはならない。」汚れた異教の祭りに由来するような行事を祝うことは、神に嫌われることである。だから、クリスマスを祝ってはならない。このような理由でクリスマスを良く思わないのは、エホバの証人だけではありません。いわゆる正統的なキリスト教徒たちの中にも、異教の祭りに由来するという理由で、クリスマスを祝うことを推奨しない方々がいます。私はこの問題についてあれこれと考える中で、この問題は、単にクリスマスを祝うべきか祝うべきではないか、ということにとどまらない、もっと重要な問題なのではないか、と思うようになりました。それは、神様に喜ばれる“聖なる生き方”とはどのような生き方なのか、ということです・・・・・・

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聖書の説教
ピリピ2:5-11「サウイフモノニ」(宣愛師)

・・・・・・みなさんご存知の通り、「雨ニモマケズ」と呼ばれる宮沢賢治の詩です。この詩は、宮沢賢治が37歳で亡くなる数年前に、手帳に書き遺していたものです。……ところでみなさんは、この詩の“モデル”となったと言われる人物のことをご存知でしょうか。そして、その人物がキリスト教徒だったということをご存知でしょうか。それは、宮沢賢治と同じく岩手の花巻に生まれ育った、斎藤宗次郎というクリスチャンでした・・・・・・

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聖書の説教
ルカ2:6-7「すみっコぐらしの救い主」(宣愛師)

・・・・・・この5人(5匹?)のすみっコたちの中で、「自分はこの子の気持ちがよく分かるなあ」と思うような子はいるでしょうか? 「とんかつ」の、“誰にも必要とされない悲しみ”。「しろくま」の、“周りと同じではない悲しみ”。「ぺんぎん?」の、“自分が何者なのか分からない悲しみ”。「ねこ」の、“理想の自分になれない悲しみ”。そして、「とかげ」の、“本当の自分を隠して生きていく悲しみ”。すみっコぐらしのすみっコたちは、それぞれの悲しみを抱え、それぞれのコンプレックスや悩みを抱えています・・・・・・

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聖書の説教
マタイ1:23「神が私たちとともにおられる」

・・・・・・みなさんは、全てを自分の思い通りに決められる人生のほうが幸せだと思うでしょうか。全て自分で決めたい、自分の人生は自分のものだ、だれにも邪魔されたくない、と思うでしょうか。しかし、神様はみなさんの人生の邪魔をしない方ではありません。神様は、みなさんの人生に、みなさんが想像もしていなかったようなことを起こそうと計画しておられるからです・・・・・・

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