ルカ2:6-7「すみっコぐらしの救い主」(宣愛師)

2023年12月17日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『ルカの福音書』2章6-7節


6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。



すみっコぐらしのすみっコたち

 「すみっコぐらし」という大人気のキャラクターたちがいます。「すみっコぐらし、知ってる!」という人はいますか?「ちょっとよく分からないなあ」という人は? それでは、「ちょっとよく分からないなあ」という方々のために、「すみっコ」たちをご紹介しましょう。 

 一番左にいるのは「とんかつ」です。正確に言えば、「とんかつを切った時の、一番はじっこの部分」です。お肉が1%しかなく、残りの99%は脂肪なので、脂っぽくて誰にも食べてもらえなかった、とんかつのはじっこです。誰にも食べてもらえないということは、とんかつにとって大きなトラウマとなりました。とんかつは、“誰にも必要とされない悲しみ”を知っているんです。

 その隣りにいるのは「しろくま」です。しろくまは、もともとは北極に住んでいたのですが、赤ん坊の頃から大の寒がりで、暖かい場所を求めて南に移動してきました。しろくまなのに、寒い場所で生きていけないのです。周りのしろくまと同じように生きることができず、かと言って、周りに合わせることもできない。しろくまは、“周りと同じではない悲しみ”を知っています。

 真ん中にいるのは「ぺんぎん?」です。「ぺんぎん?」は、自分が本当にぺんぎんなのか、自信がありません。昔は頭にお皿が乗っていたような気もしていて、もしかするとぺんぎんではなく、かっぱなのではないかという気もする。でも記憶をなくしてしまっているので、自分という存在に自信が持てないんです。ぺんぎん?は、“自分が何者なのか分からない悲しみ”を知っています。

 右から二番目は「ねこ」です。捨て猫としてダンボール箱の中に住んでいた頃、ごはんの食べ過ぎで太ってしまったせいで、他の猫たちは拾われたのに、自分だけは拾ってもらえませんでした。「もっと普通の猫になりたい。もっとスリムな猫になって愛されたい」と思ってダイエットを頑張るのですが、なかなか成功しません。ねこは、“理想の自分になれない悲しみ”を知っています。

 そして、一番右にいるのは「とかげ」です。とかげは、本当はとかげではなく恐竜の子どもなのですが、恐竜だということがバレると捕まえられてしまうので、「自分はとかげだ」と嘘をついて暮らしています。仲の良いすみっコたちにも、自分が恐竜であることを伝えられずにいて、いつももどかしい気持ちです。とかげは、“本当の自分を隠して生きていく悲しみ”を知っています。

 いかがでしょうか? この5人(5匹?)のすみっコたちの中で、「自分はこの子の気持ちがよく分かるなあ」と思うような子はいるでしょうか? 「とんかつ」の、“誰にも必要とされない悲しみ”。「しろくま」の、“周りと同じではない悲しみ”。「ぺんぎん?」の、“自分が何者なのか分からない悲しみ”。「ねこ」の、“理想の自分になれない悲しみ”。そして、「とかげ」の、“本当の自分を隠して生きていく悲しみ”。すみっコぐらしのすみっコたちは、それぞれの悲しみを抱え、それぞれのコンプレックスや悩みを抱えています。そんな彼らだから、すみっこにいると落ち着くのです。

 「すみっこにいると落ち着く」というのも、私たちによく分かる気持ちかもしれません。この礼拝堂に入った時、みなさんは「どこの椅子に座ろうか」と考えたでしょう。そして多くの方は、端っこの席を探したでしょう。真ん中の席とか前のほうの席に座るのは、なんとなく緊張する。他の人から見られるような気がして緊張する。だからとりあえず端っこに座る。でも、端っこがすでに埋まってしまっていたので、仕方なく真ん中のほうに座った、という方もいたでしょう。

 私たちは、なんとなく居心地の悪い場所とか、緊張する場所とか、自分に自信が持てない場所にいるとき、すみっこに逃げたくなります。教会は居心地の悪い場所ではないはずなんですが、やっぱり知らない人たちが周りにいたりすると緊張しますよね。もしかしたら、何かキリスト教っぽくない、失礼なことをしちゃうんじゃないかと思うと、不安になりますよね。

 自分に自信が持てないと、すみっこに逃げたくなるものです。誰にも必要とされず、誰からも大切にされていないように感じて、「自分なんて、いてもいなくても変わらない」と落ち込む時にも、すみっこに逃げたくなります。というか、すみっこに追いやられるような気持ちになります。

 周りに合わせられず、他の人のように仕事や勉強についていくことができず、「どうして自分は他の人みたいにうまく生きていけないのか」と悩む。自分が何者なのか分からず、何のために生きているのかも分からず、自分で自分に納得することができない。理想の自分を思い描くけれども、いつまで経ってもそれに届かない自分が嫌になってしまう。自分らしくのびのびと生きていきたいけれど、そんなことしたら皆に嫌われてしまうんじゃないかと怖くて、自分を抑えて生きていくしかない。そうやって、自信を失って、どんどんすみっこに逃げていく。私たちは誰しも、それぞれの事情を抱えながら、すみっコぐらしをしているものです。こんなにかわいいキャラクターではないかもしれませんが、私たちにはそれぞれ、自分の心の中にすみっこがある。


「宿屋には彼らのいる場所がなかった」

 二千年前の最初のクリスマスも、すみっこから始まりました。イエス様が生まれたのは、どんな場所でしたか? 立派な王様の宮殿でしたか? きれいな病院でしたか? 高級なホテルでしたか? イエス様はどこで生まれたか、分かる人!【挙手】そう、イエス様が生まれたのは、立派な王宮ではなく、きれいな病院でもなく、高級なホテルでもありませんでした。イエス様は、動物たちのよだれがたくさんついているような、臭くて汚い家畜小屋でお生まれになったんです。

 ルカの福音書、2章6節と7節を改めてお読みします。


6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 イエス様も「すみっコぐらし」をしてたんです。イエス様は神様ですから、生まれる場所も自由に決めることができたはずです。それなのにどうしてイエス様は、病院とか、王宮とか、ホテルとかじゃなくて、臭くて汚い家畜小屋に生まれることを選んだのでしょうか? イエス様は何のために、こんなすみっこ中のすみっこみたいな場所で生まれたのでしょうか?

 それは、羊飼いたちが会いに来ることができるようにするためでした。ルカの福音書2章を少し先に進んで、15節と16節をお読みします。


15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。

 この時代の羊飼いは、みんなから差別されていました。みんなからバカにされていました。みんなから仲間外れにされていました。羊飼いたちも、暗くて悲しいすみっこぐらしをしていたんです。「おれたちはどうしてこんなに差別されなきゃいけないんだ。どうしてバカにされなきゃいけないんだ」と悩みながら、やるせない気持ちになりながら、広い世界の端っこの端っこの端っこで生きていたんです。でも、そんな羊飼いたちに、御使いたち、天使たちが現れて、最初のクリスマスの知らせ、この世界で最も喜ばしい知らせが届けられたんです。 

 もしイエス様が、きれいな病院でお生まれになっていたら、羊飼いたちはイエス様に会いに来れません。いつも羊たちのお世話を頑張っている羊飼いたちの体は、臭くて汚いからです。だから、立派な王宮にも入れません。「なんだお前たちは!もっと綺麗な服を用意して来い!」と言われて、入口で追い出されてしまいます。ホテルや宿屋にも入れません。「ほかのお客様のご迷惑になりますから、お引き取りください」と言われてしまいます。でも、家畜小屋なら、そんな心配は必要ありません。だってイエス様も、マリアもヨセフも、臭くて汚いからです。

 今から二千年前の、世界で最初のクリスマス。イエス様には、居場所がありませんでした。「宿屋には彼らのいる場所がなかった」のです。なぜでしょうか。それは、居場所のない人たちのために、居場所を作りたかったからです。すみっこにいる人たちを、イエス様は特別に愛しておられるからです。誰にも必要とされない人。周りに上手く合わせられない人。自分が何者か分からない人。理想の自分に届かない人。本当の自分を隠して生きている人。そうやって、生きづらさを抱えている人たちのことを、イエス様は特別に愛しておられるからです。

 もしかすればみなさんの中には、「自分なんかが教会に行ってもいいんだろうか?」と不安になりながら、今日の礼拝に来られた方がいるかもしれません。「まあ、とりあえず端っこの席に座ろう」と思っていたのに、礼拝堂に入ってみたら真ん中の席しか空いていなくて、「うわ、まじか」と思いつつ、緊張しながら頑張って礼拝に参加している、そんな方もいるかもしれません。そうやって、ちょっぴり不安な気持ちで教会に来るような人がいるとすれば、イエス様は実は、そういう人が大好きなんだということを、覚えていてください。「自分なんかが教会に行ってもいいのかな?」と不安になるような人こそ、イエス様は大歓迎なんだということを、覚えていてください。「わたしのところにおいで!もっと近くに!」と招かれているんです。

 毎日色々なことでお忙しいと思いますけれども、みなさんぜひ、これからも教会に来てください。「自分なんかが教会に行ってもいいのかな?」と思うときこそ、教会に来て、イエス様のみことばを聞いてください。自分に自信が持てなくなった時、安心できる居場所を失ってしまった時、生きる目的が分からなくなった時、本当の自分を隠して生きることに疲れてしまった時、教会に来てください。そして、イエス様があなたを愛しておられることを、イエス様があなたを特別に愛しておられることを、聖書のみことばによって思い出してください。

 羊飼いたちのために、わざわざ家畜小屋に生まれてくださった神様なんて、イエス様以外にいるでしょうか? こんなにも全力で私たちを愛してくださる神様なんて、イエス様以外に聞いたことがあるでしょうか? イエス様だけが、私たちを愛して救うことのできる、まことの救い主です。クリスマスに生まれてくださったこのお方だけが、すみっこに生きる、小さな小さな私たちを心から愛してくださる、唯一まことの救い主です。ぜひみなさんにも、このイエス様と一緒に生きる人生をスタートしていただきたいと思います。ご一緒に祈りましょう。


祈り

 私たちの父なる神様。自信が持てない時があります。「自分なんて必要ないのでは」と落ち込む時があります。周りの人に合わせようとして、本当の自分を隠して、疲れてしまう時があります。そんな私たちのために、イエス様が来てくださったことを、心から感謝します。居場所のない私たちのために、安心できる居場所を作ってくださったことを、心から感謝します。このクリスマスの喜びをしっかりと心に刻んで、救い主イエス様と一緒に生きていくことができますよう、私たちをお導きください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。