ペテロの手紙 第一

聖書の説教
第一ペテロ3:13-22「よみにくだり」(使徒信条⑬|宣愛師)

・・・・・・ジョット・ディ・ボンドーネ(1266-1337年)というイタリアの画家が描いた、「最後の審判」と呼ばれる壁画があります。 地獄を描いたこの壁画では、悪魔たちが様々な手段で人間たちを苦しめています。……教育効果という意味では、こういう絵画にも一定の意義があるのかもしれません。ただ私は昔から、こういう絵を観るたびに違和感を覚えていました。どうしてこの悪魔たちは、自分たちも地獄に落とされているのに、活き活きと動き回っているのだろうか。命の世界で私たちを苦しめる悪魔たちは、死後の世界でも私たちを苦しめ続けるのだろうか。結局のところ、死後の世界を支配しているのは、神様ではなく悪魔だということなのだろうか・・・・・・

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聖書の説教
第一コリント15:50-58「無駄でないと言える人生」(宣愛師)

・・・・・・神の国を待ち望む私たちにとって、「今さら何をやっても無駄だ」ということはあり得ません。今さら何か勉強を始めてみたって、今さら何かを頑張ってみたって、どうせもう間に合わない、もう遅すぎると諦める必要はないのです。「天国には何も持っていけない」というのは嘘です。新しい世界が本当に来るのだとしたら、今日私たちがたった一つでも学んだことは、永遠の世界に持っていくことができます。今日私たちが誰かに一つでも感謝を伝えるならば、新しい世界でその人と再び出会った時、「その節はどうも」と楽しい会話をすることだってできるのです・・・・・・

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聖書の説教
第一ペテロ3:13-16「希望を語るために」(宣愛師)

・・・・・・私たち盛岡みなみ教会はこの4月から、「希望を語るために」というテーマを掲げ、第一ペテロ3章15節を掲げて、新しい年度を始めてまいります。……どうすれば、イエス様の素晴らしさを人々に伝えることができるのでしょうか。本日は、キリスト教を信じない人々の多くが抱いていると思われる三つの問いについて、聖書を通して考えたいと思っています。その三つの問いとは、「キリスト教は倫理的に良いものか?」「キリスト教は合理的に納得できるか?」そして、「キリスト教は人生に希望を与えるか?」という三つの問いです・・・・・・

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聖書の説教
第一ペテロ4:7-8「愛は多くの罪をおおう」

・・・・・・「万物の終わりが近づきました。」この言葉を聞いて、みなさんはどんなことを思い浮かべたでしょうか。地震が起こったり、火山が噴火したり、隕石が落ちてきたりして、地球が滅亡する、みたいなことを思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。そうやって地球が滅亡して、クリスチャンたちはどこか遠くにある天国に行く、みたいなことを想像した方もいたかもしれません・・・・・・

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聖書の説教
三浦陽子師「へりくだる者への主の恵み」(Ⅰペテロ5:1-7)

(※午後の就任式で司式をしてくださった三浦陽子(みうらようこ)先生が、群馬県の安中聖書教会から来てくださり、午前の礼拝でもメッセージをしてくださいました。)

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聖書の説教
第一ペテロ3:8-9「何のために召されて」

・・・・・・そして今日は、今月の最後の説教として、キリスト教に対するもう一つの批判を取り上げたいと思います。キリスト教に対して昔から言われ続けてきた批判であり、私も実際に言われたことのある批判です。それは、「選ばれた人しか救われないなんて、キリスト教も結局、自己中心的な宗教なんじゃないの?」というものです・・・・・・

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第一ペテロ3:15b「復活を説明できますか」

・・・・・・もちろん、イエス様の復活を否定する主張は他にもありますが、この3つが最も代表的なものでしょう。〈①イエスは実は死んでいなかった〉〈②弟子たちは幻覚を見ていた〉〈③復活は弟子たちの作り話だった〉。果たして、本当にそうなのでしょうか?・・・・・・

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