マタイの福音書
マタイ1:20-25「イエス」(使徒信条⑥|宣愛師)
・・・・・・そしてその時私たちは、「イエス」と「インマヌエル」という二つのお名前が、ひとりの救い主を指し示している、ということの意味に気づき始めるのだと思います。“罪から救う”ということと、“神がともにいる”ということが、別々の事柄ではなく、一つの事柄であることに気づき始めるのです。そしてそれは、イエス様が私たちのためにしてくださったことであり、私たちが隣人のためにできる最善のことでもあるのだと思います・・・・・・
マタイ2:19-23「彼はナザレ人と呼ばれる」(宣愛師)
・・・・・・〈これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった〉と書かれています。ところが不思議なことに、旧約聖書のどこを読んでも、「彼はナザレ人と呼ばれる」という言葉はありません。そもそも、「ナザレ」という言葉さえ、旧約聖書のどこにも書かれていないのです。一体どういうことなのか。いくつかの説があります・・・・・・
秋山善久師「十字架を負われた主」(マタイ27:27-35)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第12回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。
秋山善久師「聖餐と契約」(マタイ26:26-29)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第11回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後は「母の日 感謝の時」でした。
秋山善久師「神のことばの実現」(マタイ24:32-44)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第10回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後には役員就任式を行いました。
秋山善久師「問われた信仰告白」(マタイ22:41-46)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第9回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後には二十歳祝福式を行いました。
秋山善久師「決断が迫られる今」(マタイ21:23-32)
※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第8回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後には子ども祝福式を行いました。
マタイ1:23「神が私たちとともにおられる」
・・・・・・みなさんは、全てを自分の思い通りに決められる人生のほうが幸せだと思うでしょうか。全て自分で決めたい、自分の人生は自分のものだ、だれにも邪魔されたくない、と思うでしょうか。しかし、神様はみなさんの人生の邪魔をしない方ではありません。神様は、みなさんの人生に、みなさんが想像もしていなかったようなことを起こそうと計画しておられるからです・・・・・・