ルカの福音書
ルカ13章18-21節「神の国の小さな種」(「弱さ」シリーズ⑩|宣愛師)新着!!
・・・・・・どうすれば神の国は広がっていくのでしょうか。私たちがイメージしやすいのは、社会的に影響力のある人たち、たとえば政治家とか、社長とか、有名人のような人たちがイエスさまを信じてクリスチャンになれば、神の国は力強く広がるのではないか、ということです。逆に言えば、この社会で大した影響力を持っていない一般人、政治家でもなければ、社長でもなければ、有名人でもない、私たちのような一般人がクリスチャンになったところで、神の国は広がりはしない、とも思うわけです。でも、本当にそうなのでしょうか?・・・・・
ルカ18章9-14節「パリサイ人と取税人」(「弱さ」シリーズ⑨|宣愛師)
・・・・・・このたとえ話を現代風にアレンジするなら、こんな感じになるでしょうか。〈一人のクリスチャンが教会の礼拝堂に立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私がほかのクリスチャンたちのように、中絶を認める者、進化論を信じる者、LGBTQを容認する者でないことを感謝します。」〉もしくは、逆パターンならこうなるかもしれません。〈一人のリベラルなクリスチャンが立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私が福音派の人々のように、聖書を非合理的に読む者、科学的根拠を否定する者、女性や性的少数者の人権を軽んじる者でないことを感謝します。」〉・・・・・
ルカ10章38-42節「黙想」(礼拝式シリーズ⑫|宣愛師)
・・・・・・もともとはマルタも、妹がイエス様の話を聞くことを喜んでいたのではないかと思います。イエス様の弟子となった妹の姿を見て、「すごい、これが神の国なんだ」とワクワクしていたのだと思います。「神の国では、女性が差別されることもない。身分の低い人が蔑まれるようなこともない。こんなにすばらしい神の国のために、私も何かお手伝いがしたい。」……しかし、最初は喜んでおもてなしの準備をしていたマルタも、忙しさの中で、慌ただしさの中で、次第に苛立ちが募ってくるのです。そしてついに、イエス様に文句を言ってしまう・・・・・
ルカ18:28-30「とこしえのいのち」(使徒信条㉔|宣愛師)
・・・・・・『ギルガメシュ叙事詩』という物語をご存知でしょうか。世界で最も古い物語の一つと言われています。主人公のギルガメシュは偉大な王様であり、英雄でした。ところが、彼の親友が死んでしまったことをきっかけとして、彼は死の恐怖に取り憑かれてしまいます。そして、「永遠のいのち」を求めて旅を始めたのです。しかし、その旅を通して彼が知ったことは、残酷な真実でした。「永遠のいのちは神々のもの。人間が手に入れることはできない。」・・・・・
ルカ1:26-38「主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ」(使徒信条⑧|宣愛師)
・・・・・・“キリストの処女懐胎”が疑われている理由は、大きく分けて三つあります。まず第一に、「処女が妊娠するなんて科学的にあり得ない」と主張する人たちがいます。現代人の多くはこの立場に立つでしょう。その一方で、科学的な観点とは全く別の理由から、イエス様の“処女懐胎”を否定する人たちもいました。彼らは、「イエスのような貧しい人間に奇跡的な誕生は相応しくない」と主張します。そしてさらに別の観点から、イエス様の“処女懐胎”を疑う人々もいました。彼らは、「聖なる神の御子が物質的肉体を持つはずがない」と主張しました。本日は、これら三つの主張に順番に答えながら、この信仰告白に込められた意味をご一緒に味わいたいと思っています・・・・・・
ルカ4:16-30「キリスト」(使徒信条⑦|宣愛師)
・・・・・・もっと正確に言うならば、「キリスト者」になるために唯一必要な条件は、“あなたが受け入れたくない人も受け入れてしまうキリスト”を受け入れること、これだけです。どうしてキリスト教が、「イエス・キリストを信じるだけで救われる」という、あまりにも単純すぎることを教えているのか、お分かりいただけると思います。「われはイエス・キリストを信ず」と告白するだけ。このあまりにも単純なことが、自己中心で排他的な私たちにはあまりにも難しいのです。しかし、このたった一つの信仰だけで、私たちの全ての罪は赦され、神の民の一員として迎え入れていただけるのです・・・・・・
ルカ2:8-12「飼葉桶のにおい」(宣愛師)
・・・・・・クリスマスを描くキリスト教の絵画はたくさんありますが、多くの場合、小さなイエス様のからだがうっすら光り輝いていて、いかにも「この赤ちゃんが救い主ですよ」と一目でわかるような描かれ方になっています。……しかし天使が語ったのは、「あなたがたは、光り輝くみどりごを見つけます」ということではありませんでした。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」・・・・・・
ルカ14:12-14「サンタクロースの幸せ」(宣愛師)
・・・・・・サンタクロースというのは本来、何の「お返し」もできないような貧しい子どもたちにプレゼントを届ける存在でした。しかしいつの間にか私たち大人は、「ちゃんと良い子にしてたら、サンタさんからプレゼントがもらえるよ」と言ってしまうようになりました。そうやって、本来のクリスマスの喜びを歪め、狭めてしまうようになりました。私たちクリスチャンも、「教会でぜひ本当のクリスマスを祝いましょう」と言いながら、どこか間違った祝い方をしているということがあるかもしれません・・・・・・
ルカ1:26-38「マリアへの受胎告知」(まなか師)
・・・・・・当時の慣習では、結婚していない女性が妊娠すれば、姦淫の罪を犯した者として石打ちの刑です。マリアは不貞を働いた女として、罪人として、突然、妊娠生活を始めなければいけません。周りの人々に何と言われるだろうか。何よりヨセフにどう思われるだろうか。……マリアの人生なのに、マリアの意見が聞かれることもない。何の断りもなく、彼女は神の子の母にさせられました。それにも関わらず、御使いは「おめでとう、恵まれた方」と言ってはばからないのです・・・・・・
ルカ5:12-13「クリスマスは汚れた祭り?」(宣愛師)
・・・・・・「汚れたものに触れてはならない。」汚れた異教の祭りに由来するような行事を祝うことは、神に嫌われることである。だから、クリスマスを祝ってはならない。このような理由でクリスマスを良く思わないのは、エホバの証人だけではありません。いわゆる正統的なキリスト教徒たちの中にも、異教の祭りに由来するという理由で、クリスマスを祝うことを推奨しない方々がいます。私はこの問題についてあれこれと考える中で、この問題は、単にクリスマスを祝うべきか祝うべきではないか、ということにとどまらない、もっと重要な問題なのではないか、と思うようになりました。それは、神様に喜ばれる“聖なる生き方”とはどのような生き方なのか、ということです・・・・・・





