ルカの福音書
ルカ1:26-38「主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ」(使徒信条⑧|宣愛師)
・・・・・・“キリストの処女懐胎”が疑われている理由は、大きく分けて三つあります。まず第一に、「処女が妊娠するなんて科学的にあり得ない」と主張する人たちがいます。現代人の多くはこの立場に立つでしょう。その一方で、科学的な観点とは全く別の理由から、イエス様の“処女懐胎”を否定する人たちもいました。彼らは、「イエスのような貧しい人間に奇跡的な誕生は相応しくない」と主張します。そしてさらに別の観点から、イエス様の“処女懐胎”を疑う人々もいました。彼らは、「聖なる神の御子が物質的肉体を持つはずがない」と主張しました。本日は、これら三つの主張に順番に答えながら、この信仰告白に込められた意味をご一緒に味わいたいと思っています・・・・・・
ルカ4:16-30「キリスト」(使徒信条⑦|宣愛師)
・・・・・・もっと正確に言うならば、「キリスト者」になるために唯一必要な条件は、“あなたが受け入れたくない人も受け入れてしまうキリスト”を受け入れること、これだけです。どうしてキリスト教が、「イエス・キリストを信じるだけで救われる」という、あまりにも単純すぎることを教えているのか、お分かりいただけると思います。「われはイエス・キリストを信ず」と告白するだけ。このあまりにも単純なことが、自己中心で排他的な私たちにはあまりにも難しいのです。しかし、このたった一つの信仰だけで、私たちの全ての罪は赦され、神の民の一員として迎え入れていただけるのです・・・・・・
ルカ2:8-12「飼葉桶のにおい」(宣愛師)
・・・・・・クリスマスを描くキリスト教の絵画はたくさんありますが、多くの場合、小さなイエス様のからだがうっすら光り輝いていて、いかにも「この赤ちゃんが救い主ですよ」と一目でわかるような描かれ方になっています。……しかし天使が語ったのは、「あなたがたは、光り輝くみどりごを見つけます」ということではありませんでした。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」・・・・・・
ルカ14:12-14「サンタクロースの幸せ」(宣愛師)
・・・・・・サンタクロースというのは本来、何の「お返し」もできないような貧しい子どもたちにプレゼントを届ける存在でした。しかしいつの間にか私たち大人は、「ちゃんと良い子にしてたら、サンタさんからプレゼントがもらえるよ」と言ってしまうようになりました。そうやって、本来のクリスマスの喜びを歪め、狭めてしまうようになりました。私たちクリスチャンも、「教会でぜひ本当のクリスマスを祝いましょう」と言いながら、どこか間違った祝い方をしているということがあるかもしれません・・・・・・
ルカ1:26-38「マリアへの受胎告知」(まなか師)
・・・・・・当時の慣習では、結婚していない女性が妊娠すれば、姦淫の罪を犯した者として石打ちの刑です。マリアは不貞を働いた女として、罪人として、突然、妊娠生活を始めなければいけません。周りの人々に何と言われるだろうか。何よりヨセフにどう思われるだろうか。……マリアの人生なのに、マリアの意見が聞かれることもない。何の断りもなく、彼女は神の子の母にさせられました。それにも関わらず、御使いは「おめでとう、恵まれた方」と言ってはばからないのです・・・・・・
ルカ5:12-13「クリスマスは汚れた祭り?」(宣愛師)
・・・・・・「汚れたものに触れてはならない。」汚れた異教の祭りに由来するような行事を祝うことは、神に嫌われることである。だから、クリスマスを祝ってはならない。このような理由でクリスマスを良く思わないのは、エホバの証人だけではありません。いわゆる正統的なキリスト教徒たちの中にも、異教の祭りに由来するという理由で、クリスマスを祝うことを推奨しない方々がいます。私はこの問題についてあれこれと考える中で、この問題は、単にクリスマスを祝うべきか祝うべきではないか、ということにとどまらない、もっと重要な問題なのではないか、と思うようになりました。それは、神様に喜ばれる“聖なる生き方”とはどのような生き方なのか、ということです・・・・・・
マーク・ゲルソープ師「この警告は誰のためか?」(ルカ13:1-5)
※本日は、盛岡みなみ教会と花巻めぐみキリスト教会の講壇交換(説教者の相互派遣)でした。盛岡みなみ教会ではマーク・ゲルソープ先生がご奉仕くださり、花巻めぐみキリスト教会では宣愛伝道師が奉仕しました。
ルカ12:32「小さな群れよ、恐れるな」(宣愛師)
・・・・・・盛岡みなみ教会の創立20周年、おめでとうございます。そして、この20年間、盛岡みなみ教会を守り導いてくださった、私たちの主イエス・キリストの御名を賛美いたします。今日はお祝いの日です。めでたい日です。……しかし、この特別な喜びの日にあっても、私たちは本当に喜べているかと問われると、どうでしょうか。喜んでいる場合だろうかと、心のどこかで思ってしまうところがあるかもしれません。めでたく20周年を迎えることができた。でも、これからあと何年やっていけるだろうか・・・・・・
ルカ2:6-7「すみっコぐらしの救い主」(宣愛師)
・・・・・・この5人(5匹?)のすみっコたちの中で、「自分はこの子の気持ちがよく分かるなあ」と思うような子はいるでしょうか? 「とんかつ」の、“誰にも必要とされない悲しみ”。「しろくま」の、“周りと同じではない悲しみ”。「ぺんぎん?」の、“自分が何者なのか分からない悲しみ”。「ねこ」の、“理想の自分になれない悲しみ”。そして、「とかげ」の、“本当の自分を隠して生きていく悲しみ”。すみっコぐらしのすみっコたちは、それぞれの悲しみを抱え、それぞれのコンプレックスや悩みを抱えています・・・・・・