宣愛師
使徒4:13-22「無学な普通の目撃者たち」(宣愛師)新着!!
・・・・・・ペテロとヨハネは「無学な普通の人」でした。ガリラヤ地方という田舎の湖で、網で魚を獲って生計を立てていた、ただの漁師でした。聖書の学者でもなければ、哲学の教師でもありませんでした。しかし彼らは、イエス様と出会ったのです。そして、最高法院のエリートたち、権力者たちを前にして、堂々と福音を語ったのです。生まれつき足が不自由で、四十歳になるまで歩けなかった人を、ペテロとヨハネは癒やしてしまうのです。「こいつらは一体何者だ?」と、権力者たちは驚きます。「無学な普通の人」のくせに、逮捕しても平気な顔だ。脅してもびくともしない。どうしてこんなにも堂々としていられるのか?・・・・・
コロサイ1:15-20「万物の根源:なぜ私たちは何もかも上手くいかないのか?」(宣愛師)
・・・・・・「なぜ何もかも上手くいかないのだろうか」「どうすれば上手くいくのだろうか」と絶望するような現実。デモクリトスはこう答えるかもしれません。「どうせこの世界は原子の塊に過ぎないのだ。私たちのこの身体も、いつかは分解されて原子に戻るだけなのだから、悩んだってしょうがないじゃないか。」ピタゴラスはこう答えるかもしれません。「あなたの人生が問題だらけなのは、あなたが規則正しい生活をしていないからだ!数が表す調和に則って規則正しい生活をすれば、すべての苦しみや問題は解決されるだろう!」しかし、聖書の答えは違うのです・・・・・
第二歴代誌5:11-14「賛美」(礼拝式シリーズ③|宣愛師)
・・・・・・キリスト教会の二千年の歴史を振り返ると、残念ながらそれは、“分裂の歴史”だったとも言えます。聖書理解の違いで分裂した時代もあり、政治的な理由によって引き裂かれた時代もありました。しかし、最も多くの教会に痛みを残してきたのは、実は“音楽”であったかもしれません。……なぜ音楽が教会を分裂させてしまうのでしょうか? 理由は三つあります。第一に、音楽は一人ではできないものだからです・・・・・
ヘブル10:19-25「招待」(礼拝式シリーズ②|宣愛師)
・・・・・・この世界は、色々な「招きのことば」で溢れています。テレビやYouTubeを観ていれば、「新モデル発売」とか、「◯◯店、リニューアルオープン」というようなCMが流れて来ます。それらの「招きのことば」は、どんな人を招いているのでしょうか。商品のためにお金を払ってくれるお客さんです。もしくは、「新規スタッフ募集中!未経験者大歓迎!」みたいな求人広告も流れてきます。それらの「招きのことば」が招いているのは、お店のために労働力を提供してくれる従業員です。……しかし、そのような世の中にあって私たちは、全く新しい「招きのことば」を耳にするのです。経済力や労働力とは全く関係無しに、私たちを招いておられる方の「招き」です・・・・・
ハバクク2:18-20「前奏」(礼拝式シリーズ①|宣愛師)
・・・・・・ところが、ピアノの奏楽が流れている間、私たちは一体何をすれば良いのでしょうか。とりあえず静かにしてみます。目を閉じてみて、心の中で祈ってみたりします。しかし、「主をお迎えする備えをいたしましょう」と言われても、一体どんな備えをすれば良いのだろうかとも思うのです。このような戸惑いは「前奏」に限ったことではありません……今日から始まるシリーズを学ぶ中で、これまではなんとなく過ごしてしまっていたかもしれない礼拝プログラムの時間が、これまで以上にかけがえのない時間となることを期待しています・・・・・
ルカ18:28-30「とこしえのいのち」(使徒信条㉔|宣愛師)
・・・・・・『ギルガメシュ叙事詩』という物語をご存知でしょうか。世界で最も古い物語の一つと言われています。主人公のギルガメシュは偉大な王様であり、英雄でした。ところが、彼の親友が死んでしまったことをきっかけとして、彼は死の恐怖に取り憑かれてしまいます。そして、「永遠のいのち」を求めて旅を始めたのです。しかし、その旅を通して彼が知ったことは、残酷な真実でした。「永遠のいのちは神々のもの。人間が手に入れることはできない。」・・・・・
第一コリント15:35-44「からだのよみがえり」(使徒信条㉓|宣愛師)
・・・・・・皆さんは「こんな身体、脱ぎ捨ててしまいたい」と思ったことはないでしょうか。身体というのは厄介なものです。若くて健康な頃には元気に動いていた身体が、病気や怪我を重ねながら、段々と動かなくなっていく。肌は衰え、筋肉は弱り、腰は曲がり、苦痛に悩まされるようになる。かといって、若い人は若い人で大変です。思春期になれば、身体のあちこちが変化していきます。頼んでもいないのに形が変わったり、勝手に毛が生えてきたりして、自分の身体が自分の身体ではないように思えてくる。見た目が気になってしまって、人と比べて、自分が嫌いになっていく・・・・・
マタイ16:14-20「罪の赦し」(使徒信条㉒|宣愛師)
・・・・・・信じるだけで赦されるということと、人を赦さなければ赦されないということは、実のところ矛盾しません。なぜなら、私たちが信じるイエス・キリストというお方は、私たちが赦したくない人を赦してしまうお方だからです。……皆さんには今、赦せない人がいるでしょうか。なぜその人のことが赦せないのでしょうか。その人はどんな人でしょうか。あなたはその人に何をされたのでしょうか。よほど嫌なことをされたのでしょう。あなたがその人を赦さないなら、神様もあなたをお赦しにならないと言われたら、あなたはその人を赦せるでしょうか・・・・・
第二コリント8:1-15「聖徒の交わり」(使徒信条㉑|宣愛師)
・・・・・・あるクリスチャンの女性が、こんな風に話しておられたことを思い出します。「いつか私がいなくなって、息子が一人になってしまった時、息子と一緒に生きてくれる教会を探しているんです」―――この切実な願いに応えられる教会でありたいと思います。ともに食卓を囲める仲間がいます。いつでも悩みを相談できる仲間たちがいます。学校や仕事に行けない日があれば、平日だって教会に来れます。牧師や伝道師はもちろんのこと、助けが必要な時にはいつでも駆けつけてくれる仲間たちがここにいます。この「聖徒の交わり」がある限り、私たちは生きていけるのです・・・・・
第一コリント1:10-17「聖なる公同の教会」(使徒信条⑳|宣愛師)
・・・・・・しかしそれにしても、なぜわざわざ「われは教会を信ず」と告白するのでしょうか。「父なる神を信ず」「主イエス・キリストを信ず」「聖霊を信ず」ということなら分かります。しかし、なぜ「教会を信ず」と告白するのでしょうか。それは、教会を信じられない、という現実があるからではないでしょうか。皆さんはいかがでしょうか。教会を信頼できない、教会につまずいた、失望した、という経験はないでしょうか・・・・・







