宣愛師

聖書の説教
マルコ10:32-34「先立つイエス」(宣愛師)新着!!

・・・・・・先週は、東北宣教区のフェローシップ聖会のために仙台に行った後、高速バスに乗って新潟に帰省しました。実家に着くと、母が「この本読んだ?岩手県の話だよ」と言って、一冊の本を渡してくれました。『草の根の叫び:町のヤスクニ闘争の記録』という本で、渡部敬直(わたなべひろなお)という牧師の闘いを記録したものです……ご存じの方も多いかもしれませんが、靖国神社というのは、ただの神社ではありません・・・・・・

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聖書の説教
マルコ10:28-31「百倍の家族」(宣愛師)

・・・・・・今のところ、まだ子どもが与えられているわけではありません。子どもが与えられたら幸せだろうなと思います。でも、もちろん、子どもを望んでも与えられない、ということもあるかもしれません。……しかし、たとえ私たち夫婦の間に子どもが与えられなかったとしても、もうすでに「百倍」の子どもたちが与えられている、なんてことを言ったら、みなさんは驚かれるでしょうか。冗談を言っているわけではありません・・・・・・

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聖書の説教
マルコ10:17-27「あなたに欠けていること」(宣愛師)

・・・・・・この青年に「欠けていること」とは何でしょうか。私たちはこのみことばを読むと、「この青年に欠けていたこととは、財産のすべてを売り払っていなかったことだ」と思うかもしれません。たくさんの財産を持っていること、そしてそれを売り払わないことが、この青年に「欠けていること」なのだ、と思うかもしれません。だから、すべてを売り払うことが必要だったのだ、と。たしかにそれも重要なことです。しかし、そこがポイントではないんです・・・・・・

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聖書の説教
マルコ10:1-12「創造のはじめから」(宣愛師)

・・・・・・私たちクリスチャンは、「聖書は神様のみことばだ」と信じていますから、聖書に書かれている戒めや教えに従おうとします。「これが神様の御心だ」と信じて、聖書に書かれていることをそのまま実行しようとします。しかし、実は聖書の中には、そのまま従うだけでは不十分な、“妥協した戒め”というのもあるわけです。人間たちがあまりにも自分勝手なので、せめてこれ以上状況が悪くならないようにと、神様が仕方なく命じた命令というものがあるわけです・・・・・・

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聖書の説教
マルコ9:42-50「小さい者を守る地獄」(宣愛師)

・・・・・・もちろん私は、“地獄”の存在そのものを否定しているわけではありませんし、「すべての人が天国に行ける」という楽観的なことも考えていません。“地獄”は存在しますし、聖書にもそのように書いてあります。今日の聖書箇所でも、イエス様ははっきりと“地獄のさばき”についてお語りになっています。しかし大切なのは、“聖書は何のために地獄を語っているのか?”ということです。“イエス様は何のために地獄をお語りになったのか?”ということです。このことを理解するなら、キリスト教が教えていることは、「統一教会と同じ」ではなくなるはずです・・・・・・

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聖書の説教
マルコ9:38-41「水を飲ませてくれる人」(宣愛師)

・・・・・・私たちはもしかすると、この世界には「イエス様を信じる人」と「イエス様を信じない人」の二種類しかいないと思いがちかもしれません。そして、「信じる人たちは私たちの仲間だけど、信じない人たちは仲間ではない」と言って"線"を引いてしまったり、さらには、「信じる人は天国行きだけれども、信じない人たちは地獄行き」などと、簡単に決めつけてしまうかもしれません。しかし、本当はこの世界には、「信じる」でも「信じない」でもない、もっと曖昧な人々がいるわけです・・・・・・

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マルコ9:30-37「だれが一番偉いか」(宣愛師)

・・・・・・宣教師や牧師でさえも、「だれが一番偉いか」という議論に囚われてしまうものです。「どれだけ多くの人に洗礼を授けたか」「どれだけ立派な礼拝堂を建てたか」「どれだけ大人数の教会を作り上げたか」「あの牧師はどうだ、あの教会はどうだ」と比べてしまう。優越感に浸ったり、嫉妬をしたりする。自分よりも優秀な牧師について“あら探し”をしてみれば、その逆に、なかなか上手く行かない自分の働きについては、色々な言い訳を並べ立てて納得してみたりする。だれが一番偉いか。こういう価値観の中では、私たちは幸せになれません。しかし、幸せになれないと分かっていても、抜け出すこともできない・・・・・・

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聖書の説教
マルコ9:14-29「祈りの中にいなければ」(宣愛師)

・・・・・・ある牧師の話を思い出します。少し汚い話ですけれども、その牧師がこんな風に言うんです。「私は、トイレに行く度に、神様に感謝するんです。おしっこをする度に、うんちをする度に、神様に感謝の祈りを献げるんです。『神様、今日もおしっこができて感謝します。うんちができて感謝します』と祈るんです。」初めて聴いたときは、「なんだか変なことを言う人だなあ」と思いましたけれど、でも今では、「祈りの中にいる」というのは、そういうことなんだなと納得するんです・・・・・・

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マルコ9:2-13「山を下りながら」(宣愛師)

・・・・・・「幕屋を三つ造りましょう」と、それらしいことを言ってみたペテロでしたが、実際には「何を言ったらよいのか分からなかった。」マルコの福音書は、ペテロの証言によって書かれたと言われますから、ペテロ自身が恥ずかしそうにしながら、「いやあ、あの時はホント、何を言ったらいいのか分からなかったんだよね」と語ったのかもしれません。……このとき、ペテロは少なくとも二つの間違いを犯しました・・・・・・

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聖書の説教
マルコ8:38-9:1「神の国が力をもって」(宣愛師)

・・・・・・でも、本当に神の国は来たのでしょうか。神の国なんて来る前に、弟子たちはみんな死んでしまったのではないでしょうか。それどころか、二千年経った今でも、いつまで経っても神の国はやって来ないし、イエス様も来てくださらない。相変わらずこの世界は、戦争や貧困に満ちているじゃないか。相変わらずこの世界は人間の罪で満ちているじゃないか。本当に神の国は来るのでしょうか? イエス様が言っていたことは、全て間違いだったのでしょうか?・・・・・・

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