宣愛師

聖書の説教
マルコ14:10-21「十二人の一人」(宣愛師)新着!!

・・・・・・ユダは本当に悪者だったのだろうか。実はそんなに悪い奴じゃなかったのではないか。いや、むしろユダこそが、イエス様のお考えを理解していたのではないか。そうやってユダを救ってあげたい気持ちはよく分かるんです。「実は裏切り者ではなかった」と再解釈してあげることによって、ユダを救ってあげたい。でも、そうやってユダの罪を無かったことにしてあげることが、本当にユダを救うことになるのだろうか、とも思うんです。「実は裏切り者ではなかった」「実はそんなに悪い奴じゃなかった」。そういう主張の裏には、「本当に裏切り者だったら、そんな奴は赦されるはずがない」という前提があるのだと思います・・・・・・

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マルコ14:1-9「この人の記念として」(宣愛師)

・・・・・・トモヱ学園の前身となった学校は、手塚岸衛(きしえ)という教育者が創設した「自由ヶ丘学園」です。この学校も、名前の通り自由教育の理念によって創設されました。今でも東京の目黒区に「自由が丘」という地名がありますが、これは「自由ヶ丘学園」に合わせて付けられた地名だそうです。太平洋戦争の頃、「自由」という言葉は大日本帝国の思想に相応しくないとして、地名を変更するよう圧力をかけられたそうです。「自由」なんていう考え方は、お国の戦争のためには不必要だ、と。しかし、自由が丘の住民たちはこの地名を守り通した。自由ヶ丘の人々、トモヱ学園の人々は、市民の自由を奪う圧力や、子どもの自由を奪う教育に対して立ち向かったのです・・・・・・

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聖書の説教
第二ペテロ3:8-13「そして全てが暴かれて」(宣愛師)

・・・・・・自分だって、あの人みたいな優しい心がほしかった。自分だって、もっと愛情に溢れた心がほしかった。たしかに、神様はあなたの罪をさばきます。あなたのすべてが暴かれます。しかし、そのとき、その裁きにおいて「暴かれる」のは、あなたの罪だけではありません。神様はあなたのすべてを知っておられます。なぜあなたは人を傷つけてしまうのか。もしかすればそれは、あなたが人から傷つけられてきたからかもしれません。なぜあなたは人を愛することができないのか。それは、あなたが人からの愛情をあまり受け取れなかったからかもしれません。そのこともすべて、神様は暴いた上で、裁きを行ってくださいます・・・・・・

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マルコ13:32-37「目を覚ましていなさい」(宣愛師)

・・・・・・祈りは信仰生活の基本です。しかし、祈ることができない、祈る気力が沸かない、そういうこともあるでしょう。……「生活の思い煩いで押しつぶされて」いる。あれやこれやが心配になって、プレッシャーになって、身動きが取れない。祈ることもできず、聖書を開くこともできず、布団に倒れ込む。かと言って、不安でよく眠ることもできず、結局朝まで時間を浪費してしまう。祈っていないから調子が悪いのか、調子が悪いから祈っていないのか。たぶん両方なのでしょう。でも、そんな時にも、誰かが私のために祈っている・・・・・・

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マルコ13:24-31「しかし、わたしのことばは」(宣愛師)

・・・・・・法律を守って命を落とした、一人の裁判官。……「裁判官として相応しい死に様だ。他の裁判官も彼に見倣うべきだ」と言って、彼の死を称賛する人もいました。しかし他方で、「法律を守るために死ぬなんて、そんな死に方はあってはならない」と言う人たちもいました。……「人間、生きてこそだ。国や法、人間が定めたもんは、あっという間にひっくり返る。ひっくり返るもんのために、死んじゃならんのだ。……」……ひっくり返らないもの、永遠に続くもののために、この人生を使うことができたら、どれだけ満足のいく人生を生きられるでしょうか。では、ひっくり返らないものとは、一体どこにあるのか・・・・・・

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マルコ13:14-23「山へ逃げなさい」(宣愛師)

・・・・・・その人が洗礼を受けない理由はいくつかあるらしいのですが、大きな理由の一つは、「もし迫害を受けるようなことがあったら、自分は信仰を捨ててしまうと思うから」とのことでした。……たしかに、洗礼を受けるということは、そのような覚悟をすることでもあります。しかし、その逆のこともあるんです。イエス様への信仰を守り通し、イエス様のみことばに従ったことによって、一時的には苦しむことになったけれど、結果的には大きな苦しみから逃れることができた、ということもあるんです・・・・・・

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ルカ12:32「小さな群れよ、恐れるな」(宣愛師)

・・・・・・盛岡みなみ教会の創立20周年、おめでとうございます。そして、この20年間、盛岡みなみ教会を守り導いてくださった、私たちの主イエス・キリストの御名を賛美いたします。今日はお祝いの日です。めでたい日です。……しかし、この特別な喜びの日にあっても、私たちは本当に喜べているかと問われると、どうでしょうか。喜んでいる場合だろうかと、心のどこかで思ってしまうところがあるかもしれません。めでたく20周年を迎えることができた。でも、これからあと何年やっていけるだろうか・・・・・・

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黙示録10:8-11「開かれた巻物」(宣愛師)

・・・・・・私が東京基督教大学で学んでいた頃……迫害が非常に厳しい国の一人の牧師が大学に来てくださり、お話を聞く機会がありました。「私たちのために祈ってほしい」と、その牧師は言いました。私はてっきり、「迫害が終わるように祈ってほしい」という話だろうと予想していました。ところがその牧師は、「迫害が終わるように祈ってほしい」ではなく、「迫害の中でもイエスを証しし続けられるように祈ってほしい」と言ったんです・・・・・・

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マルコ13:9-13「最後まで耐え忍ぶ人」(宣愛師)

・・・・・・イエス様は、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます」と言いました。そして実際に、イエス様を信じる人々は、狭いエルサレムの中でも、広いローマ帝国の中でも、あらゆる社会から憎まれ、迫害を受けました。中には殺される人もいました。なぜ憎まれるのでしょうか? イエス様の教えに従う人々はなぜ、社会から憎まれてしまうのでしょうか?……キリスト教が社会から憎まれる最大の理由。それは、キリスト教が“差別の壁”を壊そうとするからです・・・・・・

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マルコ13:3-8「産みの苦しみの始まり」(宣愛師)

・・・・・・今日の説教でも、キリスト教に対する一つの批判を取り扱いたいと思っています。その批判というのは、「聖書には『世の終わりが来る』と書いてあるのに、世の終わりなんて来ないじゃないか」というものです。「世の終わりなんて来ないじゃないか!聖書には『世の終わりにキリストが再び来て、この世界を裁く』と書いてあるのに、聖書が書かれてから二千年近く経った今でも、世の終わりなんて全然来ないじゃないか!聖書もキリストも嘘つきじゃないか!」と。この批判に答えるためには、そもそも「世の終わり」とは何なのか、聖書には何と書かれているのか、ということを確認する必要があります・・・・・・

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