宣愛師
エペソ3章8-13節「最も小さな私に」(宣愛師)新着!!
・・・・・・サタンは、神さまがお造りになったこの世界を壊すために、様々な手段を用います。サタンが好んで使う手段の一つに、“競争による支配”があります。「競争に勝たなければ、あなたには価値がない」「他の人よりも優れていなければ、あなたには価値がない」というメッセージを、私たちの心に刷り込むのです。このメッセージさえ刷り込んでしまえば、あとは人間たちは勝手に争い、勝手に妬み合い、勝手に諦め、勝手に絶望し、勝手に自滅してくれるからです・・・・・
ルカ13章18-21節「神の国の小さな種」(「弱さ」シリーズ⑩|宣愛師)
・・・・・・どうすれば神の国は広がっていくのでしょうか。私たちがイメージしやすいのは、社会的に影響力のある人たち、たとえば政治家とか、社長とか、有名人のような人たちがイエスさまを信じてクリスチャンになれば、神の国は力強く広がるのではないか、ということです。逆に言えば、この社会で大した影響力を持っていない一般人、政治家でもなければ、社長でもなければ、有名人でもない、私たちのような一般人がクリスチャンになったところで、神の国は広がりはしない、とも思うわけです。でも、本当にそうなのでしょうか?・・・・・
エペソ3章1-7節「キリスト・イエスの囚人」(宣愛師)
・・・・・・私たちの人生には苦しみがあります。病気や事故などによる苦しみもあれば、失敗や挫折、または人間関係のトラブルなど、大小さまざまな苦しみが襲ってきます。苦しみの無い人生がいい、と思います。でも、そんなのは無理な話。けれどももし、「この苦しみには意味がある」「この苦しみには目的がある」と思えたなら、どうでしょうか。苦しみそのものが消えてくれるわけではないとしても、苦しみの意味がほんの少しでも分かったなら、力が湧いてくるかもしれません・・・・・
ルカ18章9-14節「パリサイ人と取税人」(「弱さ」シリーズ⑨|宣愛師)
・・・・・・このたとえ話を現代風にアレンジするなら、こんな感じになるでしょうか。〈一人のクリスチャンが教会の礼拝堂に立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私がほかのクリスチャンたちのように、中絶を認める者、進化論を信じる者、LGBTQを容認する者でないことを感謝します。」〉もしくは、逆パターンならこうなるかもしれません。〈一人のリベラルなクリスチャンが立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私が福音派の人々のように、聖書を非合理的に読む者、科学的根拠を否定する者、女性や性的少数者の人権を軽んじる者でないことを感謝します。」〉・・・・・
エペソ2章19-22節「神に組み合わされて育つ」(宣愛師)
・・・・・・「建てられ」「組み合わされ」「ともに築き上げられ」……主語(動作主)が書かれていない謎の受動態が聖書に出てきたら、大抵の場合、隠れた主語は神さまです。私たちの力で建つのではありません。崩れやすく不完全な私たちを、神さまの力強い御手が拾い上げ、優しく忍耐強く組み合わせ続けてくださいます。崩れては積み直され、ぶつかっては赦され、失敗しては励まされ―――その繰り返しの中で、私たちのゴツゴツも少しずつ丸みを帯び、痛みを伴いながらも共に成長し、神さまの優しい御手の中で、美しく築き上げられていくのです・・・・・
エペソ2章11-18節「隔ての壁を打ち壊す十字架」(宣愛師)
・・・・・・パウロは、「思い出してください」と語りかけます。「敵意」を滅ぼす唯一の方法は、自分の罪を思い出すことだからです。本来の自分がどれだけ醜い人間であったかを思い出すことだからです。そして、その醜い自分を救うために、イエスさまが血を流してくださったのだということを思い出すことだからです。思い出すことをしなければ、私たちは「敵意」に支配されます。自分は相手よりもマシな人間だと思うようになります。だから、「思い出してください。」何度も、何度でも・・・・・
エペソ2章6-10節「恵みを表す神の作品」(宣愛師)
・・・・・・「神の作品」と聞いて私が最初に思い出すのは、『たいせつなきみ』という絵本です。私たち一人ひとりは神様に大切に造られた作品である、ということを教えてくれる素晴らしい作品です。ただし、ここでパウロが言おうとしているのは、「一人ひとりが神の作品だ」ということではなさそうです。ここで「作品」と訳されているギリシャ語は、複数形ではなく単数形です。つまり、「神の作品」とは、私たち個々人のことではなく、「教会」という一つの集まりのことです・・・・・
Ⅱ列王記5章8-14節「幼子のからだのように」(「弱さ」シリーズ⑧|宣愛師)
・・・・・・ナアマンは、自分の病気が治るためには「難しいこと」が必要だと思っていました。「一ヶ月断食しなさい」とか、「幻のキノコを見つけてきなさい」とか、そういう「難しいこと」が必要だと思っていました。そして、そういう「難しいこと」が自分にはできると思っていました。ところが預言者に言われたのは、「あそこにある川で体を洗ってきなさい」だけ。「そんなこと誰にでもできるじゃないか!」―――しかし、それこそがナアマンに必要なことでした・・・・・
エペソ2章1-5節「空中の権威を持つ支配者」(宣愛師)
・・・・・・山本七平という人が書いた『「空気」の研究』という有名な本があります。この本が論じているのは、日本人を支配しているのは、天皇でも法律でもなく「空気」だ、ということです。この国では、その場の「空気」に従うことが何よりも優先される。だから、「空気が読めない」人間は排除される。……なぜ日本人は「空気」に支配されるのでしょうか。山本七平によれば、日本には“絶対的な神のことば”が存在しないからです・・・・・
エペソ1章20-23節「すべてのものを満たすキリスト」(宣愛師)
・・・・・・ある人が、こんな正直な思いを話してくれました。「私が教会に通っているのは、不真面目な友人たちよりも正しい人間になれるような気がするからです。」この人にとって教会とは、正しい人間、優れた人間という、社会的な評価を達成するための手段だったのかもしれません。……しかし、教会はキリストが「満ちておられるところ」です。キリスト以外の何かで満たされたいなら、教会以外にもっと良いところがあるでしょう。教会の外での競争や小競り合いを、教会の中に持ち込むことはできません。社会の評価、親や友人からの評価、そのような願望を教会で満足させることはできません・・・・・










