No.74【「“お説教”みたいでイヤなんだけど!」】

◆先日、小学生のNちゃんにこんなことを言われました。「礼拝の“説教”ってあるじゃん? あれさ、名前がなんか“お説教”みたいでイヤなんだけど!」そんなNちゃんも、毎週の説教を真剣に聞いているので、「イヤよイヤよも好きのうち」ということでしょうか?(違うか)

◆キリスト教の“説教”とは、偉そうな人が偉そうにお喋りをする“お説教”ではなく、聖書を読んで神様のみことばを聞いた人が、その教えを仲間たちに“説き明かす”ということです。もちろん、基本的には牧師や伝道師が担当しますが、教会から承認された信徒(長老や役員など)が語ることもあります。ちなみに、牧師は“説教”で、信徒は“奨励”と分ける人もいますが、僕の理解では、聖書の教えが説き明かされるなら、それは“説教”と呼ぶべきものです。

◆再来週の日曜礼拝では、Mさんが礼拝説教を担当してくださいます。内容としては“証し”が中心になりますが、その“証し”を通して御言葉が説き明かされるなら、それは“説教”です。御言葉を取り次ぐMさんに、耳を傾ける皆さんに、聖霊様の豊かな導きがありますように。