No.71【「神の慰めをもたらすために」】

◆「ただ今から、◯◯さんの告別式を執り行います。告別式は、◯◯さんの生涯を導いた全能の主なる神を礼拝する時であり、故人を偲びつつその遺体を葬り、地上に残る者に神の慰めをもたらすために行われます。」(日本同盟基督教団『式文』より引用・一部変更)

◆日曜日の前夜式、そして月曜日の告別式。Yさんのご葬儀を担当させていただきました。上に引用した文章は、告別式の冒頭にお読みした「序言」です。日本の文化ではしばしば、葬儀は“故人を礼拝するため”に執り行われます。しかしキリスト教では、“故人を”ではなく、“故人の生涯の全てを導かれた神を”礼拝するために行われます。“生きた”ことだけではなく、“生かされた”ことを覚える。そして、その先にある希望を確かめ、「神の慰め」を受け取る。

◆序言に続いて、次の聖書の言葉をお読みしました。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)。命を“取られる”ことは恐ろしい。しかし、“取られる”からこそ、神の御手に招かれるのです。