No.46【「信教の自由を守る日」】

◆毎年2月11日は「建国記念の日」とされていますが、キリスト教会にとっては「信教の自由を守る日」です。私たちは、「紀元前660年の2月11日に初代天皇がこの国を創った」との“建国神話”を認めません。“天皇を至高神とする大日本帝国の復活”を危惧するからです。

◆大日本帝国による愛国心教育と暴力的圧力に負けた昭和期の教会は、“キリストと天皇を並べて礼拝する”という罪を犯しました。その罪を悔いる故に私たちは、「建国記念の日」を認めず、「信教の自由を守る日」を覚えます。再び教会が、キリスト以外の誰かを“現人神”としないために。再びこの国が、隣国を侵略することを“皇国への奉仕”と呼ばないために。

◆「“信教の自由”があるから、カルト宗教を無くせないんじゃ?」という意見もあります。これに対しては、オウム真理教に解散命令を出した最高裁の「宗教上の行為の自由は、もとより最大限に尊重すべきものであるが、絶対無制限のものではなく……」という判断もひとつの答えでしょう。しかし私はそれよりも、ヤコブ1章27節の「父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし……」という御言葉を示したいと思います。弱者を虐げる教えは、“宗教”を名乗るに値するでしょうか?