ヨハネの福音書
ヨハネ3:22-30「私は衰えなければ」(まなか師)
・・・・・・「衰え」は、どちらかと言うと、私たちにとってネガティブなものです。できれば衰えたくないと願います。「衰え」ないために、日常的に運動をしよう、頭のトレーニングをしよう、身体によいものを食べよう。世の中にはそういう言葉があふれています。そうやって、私たちは「衰え」に逆らおうとします。でも、聖書がここで語っている「衰え」とは、私たちが逆らうべきものなのか。逆らうべきでないとしても、仕方なく受け入れるしかないものなのか。「衰え」ることを甘んじて受け入れなさい、と聖書は言っているのだろうか・・・・・・
ヨハネ3:16-21「ひとり子をお与えになったほどに」(まなか師)
・・・・・・「人が足りません。もっと兵士を送るよう、各国に働きかけてください」。けれどもアメリカはこう答えたそうです。「ルワンダに軍隊を送ってもアメリカの利益にはならない。アメリカの国民に対して、国益とは程遠いルワンダのために、『あなたたちの息子の命を差し出してください』とはとても言えない。」……愛する息子を、「世」に送る。それは父なる神様にとって苦渋の決断でした・・・・・・
ヨハネ3:1-15「新しく生まれなければ」(まなか師)
・・・・・・少し前に流行った歌で、King Gnuというグループの「白日」という歌があります。ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。その歌の中にこんな歌詞があります。〈真っ新に生まれ変わって 人生一から始めようが へばりついて離れない 地続きの今を歩いているんだ〉この歌詞からは、現代を生きる人たちの願いや求めが聞こえてくるように思います。人生を一から始めたい。生まれ変わって新しく生きたい。失敗も後悔もない、新しい人生を生きたい・・・・・・
ヨハネ20:19-20「喜ぶことを忘れても」(宣愛師)
・・・・・・強制収容所から解放された囚人たちは、解放されたからすぐに喜べるかと言うと、実はそうもいかない。「本当にここは安全な場所なのか」と恐れる日々が続くんだそうです。……でも、そうやって疑ったり恐れたりしながら、少しずつ少しずつ、地獄のような日々が終わったという事実を受け入れていくんです。何日も何日もかけて、「喜ぶということを学び直さなければならない」・・・・・・
ヨハネ13:31-35「互いの間に愛があるなら」(宣愛師)
・・・・・・〈わたしがあなたがたを愛したように〉とはどういうことでしょうか? これは単に、「イエス様がものすごく愛してくださったように、私たちもものすごく愛し合う」というような、愛の大きさの話だけではありません。イエス様がここで言いたかったのは、「あなたがたはわたしを裏切ったけれど、それでもわたしがあなたがたを愛したように」ということです・・・・・・
ヨハネ1:6-9「すべての人を照らす光」
・・・・・・キリスト教が教える「自立」というのは、イエス様と一緒に生きていけるようになる、ということです。イエス様という「光」と共に歩めるようになる、ということです。「○○牧師がいないと生きていけない」とか、「○○教会じゃないと自分はクリスチャンとしてやっていけない」とか、そういうことではなくて、「イエス様がいるから私は生きていける」ということです・・・・・・
秋山善久師「良い牧者キリスト」(ヨハネ10:11-18)
(※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝でした。主任牧師の秋山先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。盛岡みなみ教会としては、2年振りの聖餐式となりました。)
ヨハネ11:1-11「わたしは彼を起こしに行く」
・・・・・・ある宣教師の方から聞いた話なのですが、一人の中学生から、こんな質問をされたそうです。「この世界にはいろいろな宗教があるのに、いろいろな神様がいるのに、どうしてイエス様だけを礼拝するの?」・・・・・・