No.15【聖書と民主主義】

◆〈安倍元首相が銃殺された〉という金曜日の事件はあまりに衝撃的で、このコラムでも取り上げようと思ったのですが、何かを語るにはまだ早すぎる、とも思いました。そこで今日は、ひとりの人の死を重く受け止めつつ、先週に引き続いて選挙の話を書いてみます。

◆ そもそも、“選挙”とか“議員”とか“投票”というのは、“民主主義”という考え方を前提としています。“民主主義”というのは、〈すべての“国民”が“主権者”である〉ということです。ただ、「イエス様だけが“主”なんだから、私たちは主権者ではない」と考える人もいるかもしれません。たしかに、“主”はイエス様だけです。しかし、私たちも“主権者”なのです。

◆ “民主主義”という制度が始まったのは古代ギリシャのアテネだと考えられていますが、ギリシャよりも早く“民主主義”という考え方を表明したのは、イスラエルの旧約聖書だと思われます。古代世界では普通、「主権を持っているのは、“神のかたち”である王だけだ」と考えられていました。しかし旧約聖書は、「王だけが“神のかたち”だ」とは言いません。《神のかたちとして……男と女に彼らを創造された》と言うのです(創世記1章27節後半)。身分や性別に関係なく、皆が“神のかたち”なのです。民主主義の源流はやはり、聖書です。