No.70【『聖書難問注解』】

◆先日、『聖書難問注解』という本を購入しました。「聖書の系図の年数はなぜ合わないのか」「神は奴隷制を認めているのか」など、聖書の様々な“難問”について解説してくれる本です。この本の「まえがき」に、こんなことが書かれていました。「聖書の“難問”には二種類ある。一つ目は、“社会的・歴史的な背景の説明がなければ、理解することが難しいことば”であり、二つ目は、“理解すること自体は簡単だが、私たちの常識からかけ離れたことば”である。」

◆今週の聖書箇所でもあるマルコの福音書9章32節には、「弟子たちには〔イエスの〕ことばが理解できなかった」と書かれています。これは、“イエス様のことばが複雑で理解できなかった”とも読めますが、おそらくは、“弟子たちの常識からかけ離れ過ぎて理解できなかった”ということでしょう。

◆小説家のマーク・トウェインは次のように語りました。「私たちを悩ませるのは、聖書のわからない部分ではなく、むしろはっきりとよくわかる部分である。」理解できないからではなく、理解したくないから、理解しない。そういう聖書の読み方は避けたいものです。